<第89回箱根駅伝>◇3日◇復路◇箱根-東京(5区間109・9キロ)

 「おちこぼれ4年生」がチームを頂点に導いた。古豪・日体大が11時間13分26秒で、30年ぶり10度目の総合優勝を果たした。7区・高田翔二、8区・高柳祐也、最終10区・谷永雄一と3人の4年生がそろって区間2位の力走。4年生抜きだった往路の貯金をさらに広げ、2位の東洋大に4分54秒差をつけて完勝した。1年前に1学年下の服部翔大(3年)が主将に指名され、最上級生のプライドは傷つけられた。しかし、反発心をバネに成長し、昨年19位から驚異的な「V字回復」の原動力となった。

 負け犬のままでは終われない。2位東洋大と3分48秒差でタスキを受けたアンカーの4年生・谷永はゴールの大手町に向けて、どんどん差を広げた。4分54秒に差を広げて、ゴールテープを切ると、チームメートにもみくちゃにされた。「人生の絶頂のようにうれしい。苦しんだ1年間の結果が出た」と目を赤らめた。

 4年生抜きの往路は、服部主将の力走で早大に2分35秒差をつけて優勝。下級生たちがためた貯金を吐き出すわけにはいかない。昨年、左脛骨(けいこつ)疲労骨折でメンバーを外された7区・高田は29秒タイムを広げた。昨年9区でタスキの途切れた場面を付き添いとして目の当たりにした8区・高柳もさらに21秒、東洋大との差を広げた。4年生が最後に意地をみせ、チームを30年ぶりの総合優勝に導いた。

 昨年1月3日、19位に沈んだ直後の大手町。別府監督は最上級生ではなく、服部を主将に任命した。当日夜。2、3年と箱根を走った福士優太朗(4年)は、高柳とともに別府監督のもとを訪ね「オレにやらせてください」と直談判。だが、逆に「力不足のお前ら4年生には任せられない。オレについてこないならやめろ」と返された。

 埼玉栄高で服部の先輩だった高柳にとっても、寝耳に水の話だった。高校3年時は自らが主将を務め、1年後輩の服部に指示を出していた。体育会の大学で立場が逆転するとは夢にも思わなかっただけに、最初は受け入れられなかった。翌4日、最上級生中心にミーティングを開くと「オレらは見捨てられたな」と不満の声が渦巻いた。

 行き場を失った4年生だったが、現実から目をそらすことはなかった。下級生は自分たちより実績を残していたことは事実。1月中旬には再びミーティングを開き「腐ったらチームは低迷するし、自分たちも後悔する。文句は言わず、結果を出すことで見返すしかない」と逆に結束を図った。

 練習では、1学年下の服部主将から「ついてこい」「つけ」と命令口調で言われても耐えた。「服部の言うことは何でも聞こうと。1人でも(4年生が)反抗したらチームは崩壊する」と福士。1年から箱根に出場した服部に対して、高校の先輩だった高柳は3年まで不出場。学年の違いではなく、実力主義を受け入れ、後輩の指示も素直に従った。その服部は「上級生も付いてきてくれた」。4年生だけでなく、チーム全体は1つになっていった。

 前夜も「最後はしっかり走ろう」と、控えも含めた4年生20人全員で確認した。高柳は体調不良で直前にメンバー落ちした福士のユニホームを着て走った。「苦しいとき、福士のことを思い出した」と同学年の存在を力に変えた。そしてゴール後、別府監督、服部主将の次に、胴上げされたのは控えの福士だった。

 「優勝したことで、走れなかった選手も、今後の財産ができた」と高柳。4年生の入学直前には、陸上部の不祥事で、シード権が剥奪されたこともあった。入学前から波乱続きだった「おちこぼれ4年生」たちは、最後の最後で「最強の学年」になった。【田口潤】

 ◆1983年(昭58)の優勝VTR

 東洋大に次ぐ2着でタスキを受けた2区で、大塚正美が1時間7分34秒の区間新記録でトップに躍り出ると、最後まで往路の首位をキープ。復路では、3年連続で6区の「山下り」となった谷口浩美が激走。「前人未到」とも言われた57分47秒の区間新記録でリードを広げ、11時間6分25秒のゴール。2位早大に6分37秒差をつけて総合優勝した。