先日、第22回目となる「ウーマンズ・アクア・フェスティバル」が終了した。

この大会は、一般社団法人日本マスターズ水泳協会が主催するマスターズの水泳大会だ。マスターズ水泳とは、競泳、飛込、アーティスティックスイミング、水球、オープンウオーターの競技を通じて「健康・友情・相互理解・競技」を実現することを目的としている。

国際水泳連盟(FINA)では、参加資格は25歳以上と決められているが、日本においては多くの方に参加してほしいということで、18歳以上となっている。

水泳は、生涯スポーツとしても大変私たちの健康に役に立つ運動だと、心から思う。

大まかな数字を紹介すると、2017年度の競技登録者数は4万1362人、団体登録者数は3036チームとなっている。選手は一時期4万7000人を超えたこともある。年齢層で言えば、60代の登録者数が1番多い。

私も多くのマスターズスイマーと話したり、指導したりすることがある。

一貫して彼らに対しての印象は「明るい!貪欲!優しい!」。水泳という競技を通して、本当に輝いている! そう感じる人が多い。


その中でも、私が実行委員としてお手伝いしている「ウーマンズ・アクア・フェスティバル」は、故木原光知子前委員長が「女性が輝く社会に」という想いで始められた大会だった。

木原さんは「ミミさん」という愛称で多くの方に愛されたオリンピックスイマーだ。1964年東京大会に競泳代表として出場し、アイドルスイマーとして活躍した。私にとっては、手の届かない憧れの方だった。

ずっと何かあればこの方に相談すればいいかなと思っていたが、ウーマンズフェスティバル11回目を終えて、ミミさんが急逝した。2007年10月18日、59歳の若さでプールサイドで亡くなった。ぽっかり心に穴が開いた気分だったのを思い出す。多くのレガシーを作った人だったと今、引退して6年目にして改めて心にしみる。

10代のころから、個人的に私はミミさんにお世話になっていた。

俳句を詠む会に誘っていただいたり、この大会にも何度も呼んでもらった。若かった当時の私は「元気な女性が多くて、みんな笑顔がすてきだな」。そう思っていた。そしてミミさんが亡くなるなんて考えてもいなかった。

突然のことで、この大会はどうなるんだろうと思っていたが、その後は、竹宇治(旧姓田中)聡子さんが遺志を引き継ぎ、20回目まで委員長を務めた。20周年を迎えた去年からは村山(旧姓西側)よしみ委員長になり、「ウーマンズ・アクア・フェスティバル」として、生まれ変わった。ファミリーリレーや親子リレーなど、男性も参加できるようなプログラムも加えられた。

紆余(うよ)曲折があったこの大会だが、根底にあるミミさんの遺志がみんなを動かしているのは間違いない。

今回の大会も、日本泳法、オープンウオーター、アーティスティックスイミング、飛込を実施。多くのレジェンドの方、現役を引退したばかりの若い選手がお手伝いをしてくれた。

日本泳法は、私たち競泳オリンピアンも口が思わず開いてしまうくらい、感動した。水の中で、字を書いたり、旗をふったり。ぜひ見てほしいと思う。

「この大会いいな」そう感じた。

参加していただいた方は全部で2500人弱。参加者からは「来年もこの大会に出てベストタイムをみんなで更新したい」「けがをしてたんだけど、戻ってこれてよかった」「ライフワークになりました」との声をいただいた。

意味のないものなんてないんだな。スポーツを通して友情が生まれ、楽しいという気持ちが生まれ、ライバルから刺激をもらう。みんなの笑顔が素晴らしい。

この笑顔はどこからくるのだろう。

「いやなことは水に流しなさい」

ミミさんの言葉がよみがえった。

このような大会は続けていく意味がある。そう心から感じた。

(伊藤華英=北京、ロンドン五輪競泳代表)