【トロント(カナダ)6日(日本時間7日)=阿部健吾】フィギュアスケート男子で14年ソチ五輪金メダリストの羽生結弦(20=ANA)が、未来像を余すところなく語った。練習拠点とするカナダでインタビューに応じ、フィギュアだけでないスポーツ界の「講師」として、後進を育てる役割を熱望。18年平昌(ピョンチャン)五輪で2連覇を達成して一区切りとする構想も口にし、将来は夏冬を問わない「金の伝道師」になる夢を明かした。

 壮絶な経験が新たな道筋を示した。昨年11月、中国杯での衝突事故。頭から血を流し、全身を強く打ちながらも戦い抜いた。そして、その後遺症に悩まされながらも、最後は3月の世界選手権で世界の頂点にあと1歩まで迫った昨季。窮地に立ち、乗り越えたからこそ、使命感が生まれた。

 「あのアクシデントがあったからこそ、脳振とうの危険性をより説得力をもって伝えられる。手術後のメンタルケアなども体感しているのでサポートできる。そうなると、スケートだけの話でなく、スポーツ全体になる。そういうところにちょっとずつアプローチしていければいいかな」

 日頃から人体関連の書籍を読み、早大の通信制では心理学に関心を抱き、包括的に肉体を学ぶ。さらに、日本を離れてのカナダ生活は4年目に入る。従来の枠にとらわれない将来像は頭にあったが、それが昨季で明確になった。

 「コーチをしたいなという気持ちはなくなってきたのかな。枠組みにあまりとらわれたくない。できるなら、講師がいいな。別にスケート以外でいろんなことをしたい。メンタルの話だとか、練習環境なども勉強しているし、できると思います」

 対象範囲は夏、冬の競技を問わない。「金」の経験を伝えることが役割。

 「日本で活動したい。なるべく若い選手をサポートしたいです。将来的にはどこか専属になれれば収入も安定するかもしれないけど、そうじゃなくていろんなところに行きたい」

 19歳での金メダルに至る過程だけでなく、故障や悲運も経験した。若い世代にはこれ以上ない「ゴールド講師」になる。

 もちろん、いまは現役の選手。3年後には2度目の五輪が待つ。再び頂点に立つことが、最大の目標には変わりはない。それは、同時にもう1つの夢のためでもある。

 「小さいときから平昌でと決めていた。ソチで取って、平昌で取って終わり。そこからプロをやろうと決めていた。まだベストな状態のときにプロスケーターとしてありたいな、と。落ちてきて、落ちてきて、できなくなって引退してプロになるのではなく、やっぱりプロだったらプロとしての仕事がある」

 魅せるには、体力、技術の維持は絶対だ。もちろん平昌で2連覇を達成した場合の青写真だが、それが最高の競技人生のフィナーレだといまは思う。そのためにも、競技に集中する。それも、一切の妥協なく。

 「スケートのためだけに異国に来ている感覚がある。より、スケートに打ち込まなくてはならない。教室ではないですけど、いたら勉強しないといけない。だから、あんまり(散策とかは)ないです。外食は1年に2、3回。休みの日は、スケートのためにとにかく休む。トレーニングすることもあるし、リフレッシュすることもあれば、調子が悪くて休んだんだったら研究することもある」

 観光名所が多くあるトロントにいても、フィギュア漬けに日々に没頭する。ストイックに励む。

 あの中国での経験は、もう1つの気持ちも生んだ。

 「あまり怖いものはなくなったかなと思います。恐怖としてではなく、恐れるものという感じですかね。難しいな。どんな状況、環境においても、あれを乗り越えたからどうにでもなるのではという気持ちがあります。よりうまくなれる、より自信をもって滑れると思うし、より効率よく練習できると思ってます」

 若き王者、その自負と責任と確信と。激動の昨季から続く道の先には、多彩な未来が待っている。

 ◆昨季VTR 11月8日、中国杯フリー直前の練習で閻涵(中国)と大激突。体を強く打ち、頭部から出血した。治療後に演技も5度のジャンプに転倒して2位。翌日、車椅子で帰国した。12月にGPファイナルで2連覇、全日本選手権で3連覇したが、同30日に「尿膜管遺残症」の手術を受ける。15年3月、中国杯と同じ会場で行われた世界選手権で銀メダル。4月の国別対抗戦では、SPで96・27点とシーズン自己ベストを更新して首位に立ち、フリーも冒頭の4回転サルコーを完璧に決めるなどミスを最小限にとどめ1位となった。日本は銅メダルだった。