ふるさと仙台でスケートがしたい-。2月の平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)で連覇を達成したフィギュアスケート男子の羽生結弦(23=ANA)が22日、仙台市で行われた祝賀パレードに参加し、12年に離れた地元仙台に再び拠点を戻す夢を語った。この日は仙台市内中心部の約1・1キロを約40分間かけてパレードし、集まった約10万8000人の観衆に感謝の思いを伝えた。

 仙台中心部を通る東二番丁通りの両脇にびっしり埋まった人、人、人。羽生は手を振るにとどまらず、投げキスや「SEIMEI」の決めポーズなどサービス満点で大声援に応えた。「皆さんが僕1人のために注目してくださっているので、その温かい目とか、『おめでとう』という声が脳裏に焼き付いた。たぶんこれは地元だからこその光景。自分にしか味わえない光景だった。しっかりと心の中に持ち続けていきたいと思える瞬間でした」。

 待ちわびた地元仙台での4年ぶり2度目のパレード。集まった約10万8000人の笑顔を見渡しながら、金メダルの重みを実感するとともに、湧き上がるのは仙台への強い愛だった。パレード終着点の仙台市役所で臨んだ会見では「仙台でまた練習がしたい」と拠点を戻す夢を明かした。

 4歳でスケートを始めた羽生はソチ五輪を2年後に控えた12年春、金妍児さんを育てたブライアン・オーサー・コーチの指導を仰ぐためカナダ・トロントへと移った。「世界のトップを目指すということに関していえば、仙台だけじゃなく、県内、東北全体的にフィギュアスケートを本気でやって世界のトップを狙える設備は整っていない」。

 故郷を離れ力を磨いたからこそ「金メダルをかけて戻ってこられた」。選択に後悔はない。ただ、できることなら戻りたいのが本心だ。「この仙台でまた練習したい。スケートをしていきたい、と思うことも今回ありました。そういう設備が整わなきゃいけないという現実もあらためて感じました。ちょっとでも、こういったことをきっかけに進んでもらえたらうれしい」。

 金メダルには何かを変える力がある。06年、荒川静香さんがトリノ五輪で金メダルを獲得したことで、当時2年間も放置されていた仙台のリンクが復活した。その恩恵を受けたのが羽生だった。「僕がまたそういう存在になれたら。仙台の子どもたち、東北の子どもたちも含めて、スケート以外のスポーツの面で施設とかで苦しんでいる方もたくさんいると思う」。

 この日、羽生は宮城県と仙台市に500万円ずつ支援金を寄付した。この金メダルをきっかけに東日本大震災からの復興や、みんながふるさとで自由にスポーツができる環境が整うことを願っている。【高場泉穂】