背水の陣でNBA昇格へ-。米プロバスケットボールの独立リーグ(ABA)、シカゴ・スティームに所属する松田鋼季(28=札幌北陵高出)が“3年目の正直”に懸ける。トライアウトを経て11-12年シーズンからプレーし、今季をNBA挑戦に向けたラストシーズンと決意。同リーグで活躍し、最高峰の切符を手に入れた田臥勇太(33=リンク栃木)に続く夢を追いかけ、25日に北の大地からシカゴへ飛び立つ。

 報道記者の職を捨て、夢への挑戦を始めてから2年半が過ぎた。チームメートも相手チームの選手も、NBAという同じ目標を持つライバル。試合が終われば、肘打ちなどによって顔が傷だらけのこともある。そんな時間を過ごし、30歳が目前に迫った。「年齢的に最後のチャンス」。3度目のチーム合流を前に、松田が表情を引き締めた。

 全米約60チームのABAには、最高峰復帰を目指す者と憧れる者が共存する。スタンドにはNBAスカウトが頻繁に訪れ、隠れた才能を発掘する。NBAサンズでプレーした田臥も、ABAから夢をかなえた。「試合後に誘われ、すぐNBAのコートに立つ選手もいる」(松田)という。

 弱肉強食のコートで実績を積んできた。シカゴ・スティームは2年連続地域リーグ優勝、プレーオフでも全米4強に進出。7月には現役NBA選手やスカウトも集まるドローリーグに参加した。契約には至らなかったが、スカウトと情報交換すると同時に、上の世界に君臨する選手のプレーを体感。「NBAの選手は、パスをもらってシュートを打つ、という動作の中で何度もフェイントをかける。単純な動きの中身の濃さを感じた」と振り返る。

 今季は3ポイントシュート、アシストパス、ディフェンスの向上を目標に掲げる。これまでも40%以上の成功率を誇る3ポイントには磨きをかけてきた。「今までは相手のプレーに対抗しすぎた。今年は自分らしいプレーをアピールします」と言う。

 同じシカゴを本拠地とするNBAブルズの平均観客数は2万人を超えるが、松田のチームは4000人ほど。アウェーの試合は12時間のバス移動も当たり前。食事はハンバーガー、チキンなど。青汁とサプリメントは欠かせない。「NBAと契約できれば、一気に生活が変わる。今はNBAしか見えません」と力強く言った。【中島洋尚】

 ◆NBAと日本人

 高卒や大卒中心の有力選手は、毎年夏に開催されるNBAドラフトに指名されて入団するケースが多い。日本人では、81年に住友金属工業の岡山恭崇が初めてゴールデンステート・ウォリアーズの指名を受けたが、プレーは断念。日本人初のNBAプレーヤー田臥勇太は、03年7月にダラス・マーベリックスのサマーキャンプに参加し、デンバー・ナゲッツと契約した。開幕ロースターには残れず、同年はABAのロングビーチ・ジャムで活躍し、04年にフェニックス・サンズと契約。その後、08年の日本復帰まではNBA傘下からNBAを目指した。

 ◆松田鋼季(まつだ・こうき)1985年(昭60)2月22日、礼文町生まれ。札幌北陵高1年でバスケットボールを始め、日大時代の米国留学でストリートバスケットと出会う。大学卒業後、北海道文化放送(UHB)に入社。報道記者として警察や道議会を担当した。現在は出身地の礼文町観光大使の肩書も持つ。家族は両親と妹。185センチ、85キロ。