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[English]
刃を入れて桃を匂はす一人の夜
一人きりで過ごしていた夜の静寂の中、桃を食べるため、その表面にぐっと刃を入れました。美しい桃に刃を入れる瞬間は、まるで女性の柔肌に鋭い刃を当てたようで少し自虐的な気分になります。そして、刃を入れたとたんにパーッと甘く高貴に香り立った桃。その高貴な香りに包まれていくうちに、どこか別の世界へ、別の次元へと引き込まれていくような不思議な感覚に陥りました。
大勢でおしゃべりしながら食べる桃ではこのような感覚は抱かないはず。これも、たった一人の夜だからの出来事なのでしょう。
[季語] 桃
[季節] 秋
紅引くや萩の乱れを鏡中に
お化粧をしている女性の鏡の中に、背後の庭に咲いた萩が映り込んでいます。萩には、“乱れ萩”という言葉があるように、鏡に映り込んだ萩も、枝がもつれ絡み合
いながら咲いています。
そんな萩を、なかば意図的に鏡に映し込みながら紅を引いている女性。それは、女性ならではのナルシシズムでもあるのでしょう。萩の乱れは、その女性の心の乱れや激しい情熱、溢れ出るような情感なども象徴しているようです。
[季語] 萩
[季節] 秋
蹲にさざなみ立てる良夜かな
“蹲(つくばい)”とは、茶室の入口などに設けてある低い手水鉢のこと。茶庭を吹き抜けてゆく風が、蹲に張られた水にさざ波を立ててゆきます。
折しもその夜は、静かな中秋の名月の夜。塵ひとつ落ちていないような美しい庭園に差し込む冴えた月光、ひんやりと澄みきった空気、一抹の物寂しさ、そして実りの秋の豊かさ……。まぎれもない日本の秋の風景がそこにあります。
[季語] 良夜
[季節] 秋
ひぐらしに止めて帰るといふ人を
夕方になると鳴き始めるひぐらし。その涼しげな鳴き声は、哀調を含みながらとても美しく、どこか寂しさを誘うようでもあります。
ひぐらしが鳴く頃帰り支度を始めた人を、何度も何度も引き留めています。たとえ恋人であっても、夕方には帰らねばならない人。決して永遠ではない恋……。
短い命を懸命に鳴き通すひぐらし。はかない命だからこそ、その鳴き声はより美しく感じられるのでしょう。恋もそれに通じるものがあるのかもしれません。
[季語] ひぐらし
[季節] 秋
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