写真=本新記録を樹立した張(左)は、勝利インタビューで満面の笑み
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1回裏のマウンド。24イニング連続奪三振の日本新記録を目前にした張は、ロッテファンで埋まる右翼席を見上げながらゆっくりとプレートに向かった。「意識せずに行こうと思ったが、いざマウンドに上がると記録が頭に浮かびました」。来日後3カ月半。すい星のごとく日本球界に現れた台湾の星も、さすがに武者震いしていた。自分が生まれた年に記録されて以来、だれも破れなかった数字への挑戦だった。
だが、本来の姿を取り戻すのに時間はかからない。先頭の小坂を中飛に打ち取ると、胸の高まりは自然に収まった。2番打者サブロー。カウント2−2からの7球目は、来日後最速となる149キロを計測した。高めに外れたものの「行ける」と確信。表情が引き締まる。9球目。148キロ直球は外角高めに鋭く伸びた。バットが空を切った瞬間、右こぶしで小さくガッツポーズを決めた。
「素直な気持ちでうれしいです。狙える記録はすべて狙いたかったから」。試合前は不思議なほど冷静だった。「初回の1番打者から行くよ」。右人さし指を立てながら浮かべた笑みには、プレッシャーのかけらも感じさせなかった。大好きなピザとコーラで昼食をとり球場入り。「試合前に食事をしたのは、打たれたとき以来」と、陳通訳が証言するように7月8日のダイエー戦での4失点後、試合前の食事は避けていた。しかもこの日は、愛用のイギリス製ガムも埼玉・所沢の若獅子寮に置き忘れた。ゲン担ぎを気にする選手なら精神的不安に駆られてもおかしくない。が、ロッテのキシリトールガムをかみ締めて気持ちを切り替えた。
6回につかまり3失点で途中降板も、連続奪三振記録は28イニングまで伸ばした。この日も伸びのある直球とブレーキあるチェンジアップで5回まで8奪三振。7月21日の近鉄戦(大阪ドーム)の初回から、この間に奪った三振は42を数えた。 奪三振の秘密を語る女房役伊東の説明は明快だ。「ゆったりしたフォームからあれだけ速いボールを投げられたらバッターのタイミングは合わない」。静から動へ。球持ちが長く、ゆったりしたフォームから繰り出される140キロ台後半の直球に、打者は大きなギャップを覚えてしまうのだ。
前半から飛ばしたせいもあり、中盤はやや球威が落ちた。「力みすぎて本来の調子じゃなかった。6回に打たれたので複雑な気持ちもあります。記録よりチームの勝ちですから」。だが同年齢の松坂の6勝も抜き去り、チームでは西口の11勝に次ぐ7勝目。「今後は記録に悩まされることもないので自分のピッチングでチームの勝利に貢献します」。記録の重圧から解放された22歳の若武者が、次に狙うのはリーグ制覇しかない。【山内崇章】
◆張(西武)がロッテ戦の初回から5回まで毎回奪三振
7月21日近鉄戦の初回から28イニング連続で三振を奪い、連続イニング奪三振のプロ野球最多記録をマークした。過去最多は68年江夏(阪神)、80年木田(日本ハム)が記録した23イニング。張の9イニングあたりの奪三振は11・4個になり、規定投球回到達投手でリーグトップの西口(9・09個)と比べても大きく上回る。
◇張誌家(チャン・ズージャ)メモ
◆略歴 1980年5月6日生まれ、台中市出身。台北縣穀保家商高時代にAAA選手権に台湾代表で出場。合作金庫を経て今年1月まで国軍所属。兵役後台湾大連盟、誠泰太陽に入団。4月に西武と契約を交わす。179センチ、80キロ。右投げ右打ち。家族は両親と姉。
◆日本完封 昨秋、台湾での野球W杯3位決定戦で日本を5安打完封。最速151キロをマークした。
◆アイドル 4月中旬に発売したデビューシングル「IT,S MY WAR」のジャケットで笑顔を披露している。6枚のブロマイドもオマケについている同CDは、「♪我是男子漢(僕は男の中の男だ)」と歌うバラード。プロ入りを記念して趣味の延長で制作したCDだったが、ヒットチャートの上位まで浮上する売れ行きをみせた。カメラ目線に定評。
◆ユーティリテイ 楠城徹スカウト部長は「内野手としても使える。身体能力とセンスは抜群」と説明する。高校時代に出場したAAA選手権決勝で優勝投手になった横浜松坂(現西武)から二塁打を放ち、指名打者部門でベストナインに選ばれた。
◆いきなり居眠り 来日直後の5月上旬、西武電車に1人で乗り池袋まで買物へ。しかし帰りに居眠りをしてしまう図太さをいきなり発揮。周囲を驚かせた。
◆背番号 「久久(いく久しく)」の意味で背番号99を希望した。