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千葉代表 習志野 (14年ぶり7度目)

千葉大会の写真

千葉大会決勝(千葉マリンスタジアム)
 習志野
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 東海大望洋
 【習】佐々木―白鳥
 【東】鈴木順―小橋

習志野・佐々木初完投!14年ぶり甲子園

▼7月30日付紙面より

 校歌が終わるのを待ち切れなかった。習志野ナインがフライング気味に一塁側へ駆け出すと、スタンドを埋め尽くした大観衆に向かってガッツポーズを繰り返した。高校野球では90年以来となる満員、約3万人で埋まった千葉マリンスタジアム。名門復活を見届けようと足を運んだファンの前で、14年ぶりに頂点を極めた。

 立役者は、部員122人の中から「背番1」を背負う佐々木康太(3年)だった。前日28日からの連投だったが疲れはない。白鳥了捕手(3年)が「気合が違った」と言うように、最速135キロの直球でていねいに低めをついて、追い込んでからのフォークボールで11個の三振を奪った。チーム打率3割6分の東海大望洋打線をわずか5安打に抑えて、決勝を初完封で締めくくった。

 試合後は、椎名勝監督(46)西郡弘紀部長(39)梶岡千晃主将(3年)に続いて3度宙に舞った。「最高です。周りのみんなが支えてくれたのがパワーの源でした」と、ほおを紅潮させた。新チームでエースと言われた小倉が昨夏に右ひじを手術し、そこで巡ってきたエースの座だった。8回2死二塁の場面では、伝令に出た「背番13」の小倉から「お前に任せた」と言われた。ベンチに入れない102人の部員、毎朝グラウンド整備してくれたOB、古くからの熱烈な習志野ファン。すべての思いを力に変えた。

 椎名監督は「佐々木はどこでこんなに成長したのか、と思うほど予想を超える投球だった」と絶賛した。連日の猛打線も、初回に梶岡の先制打、6回に5番辻野敦士(3年)の中押し打、9回には4安打で4点を奪うダメ押しでバックアップ。最高の形で戦国千葉を制した。「甲子園でも習高(ナラコウ)野球をやりたい」と佐々木。21世紀最初の夏、あの習志野が帰ってきた。【鳥谷越直子】

 ◆佐々木康太(ささき・こうた)1983年(昭和58年)8月19日、千葉県八千代市生まれ。野球は愛知・扶桑東小3年から始める。5年生で千葉に戻り、大和田中ではエースとして2年秋に八千代市大会優勝。家族は両親と兄。180センチ、75キロ。右投げ右打ち。

◆Vへの足跡◆
1回戦   8―0市川西
2回戦   7―2千葉日大一
3回戦  14―0市原
4回戦  12―1柏陵
5回戦   6―4成田
準々決勝  3―2八千代松陰
準決勝  11―0市銚子
決勝    6―0東海大望洋
131勝梶岡さん観戦

 習志野の一塁側スタンド最上段には梶岡千晃主将(3年)の祖父で、阪神で131勝を挙げた梶岡忠義さん(80)の姿もあった。初回、梶岡の左中間を破る先制適時三塁打に「自分が引っ張っていかないと、という気持ちの表れでしょう」と、目を細めた。梶岡は「おじいちゃんを甲子園に連れていくのが夢だった。家に帰ったら『一緒に行こうか』と言います」と、笑みを広げていた。

(写真=習志野ナインは、佐々木投手(左から3人目)と応援スタンドへ歓喜のビクトリーラン)

 ◆習志野 1957年(昭和32年)に創立した市立校。同年に野球部も創部した。生徒数は956人(うち女子441人)。部員数122人(うち女子マネジャー5人)。甲子園は春2回、夏6回出場。OBには掛布雅之氏(野球評論家)谷沢健一氏(野球評論家)ら。所在地は習志野市東習志野1の2の1。石橋学校長。


3、4番無安打

 東海大望洋 創部15年目で初の甲子園出場はならなかった。徹底マークされた3番長田昌浩(2年)4番作山英之(3年)が無安打に終わり、最後までチャンスを生かせなかった。相川敦志監督(40)は「佐々木君にほんろうされた」とポツリ。


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