▼7月30日付紙面より
校歌が終わるのを待ち切れなかった。習志野ナインがフライング気味に一塁側へ駆け出すと、スタンドを埋め尽くした大観衆に向かってガッツポーズを繰り返した。高校野球では90年以来となる満員、約3万人で埋まった千葉マリンスタジアム。名門復活を見届けようと足を運んだファンの前で、14年ぶりに頂点を極めた。
立役者は、部員122人の中から「背番1」を背負う佐々木康太(3年)だった。前日28日からの連投だったが疲れはない。白鳥了捕手(3年)が「気合が違った」と言うように、最速135キロの直球でていねいに低めをついて、追い込んでからのフォークボールで11個の三振を奪った。チーム打率3割6分の東海大望洋打線をわずか5安打に抑えて、決勝を初完封で締めくくった。
試合後は、椎名勝監督(46)西郡弘紀部長(39)梶岡千晃主将(3年)に続いて3度宙に舞った。「最高です。周りのみんなが支えてくれたのがパワーの源でした」と、ほおを紅潮させた。新チームでエースと言われた小倉が昨夏に右ひじを手術し、そこで巡ってきたエースの座だった。8回2死二塁の場面では、伝令に出た「背番13」の小倉から「お前に任せた」と言われた。ベンチに入れない102人の部員、毎朝グラウンド整備してくれたOB、古くからの熱烈な習志野ファン。すべての思いを力に変えた。
椎名監督は「佐々木はどこでこんなに成長したのか、と思うほど予想を超える投球だった」と絶賛した。連日の猛打線も、初回に梶岡の先制打、6回に5番辻野敦士(3年)の中押し打、9回には4安打で4点を奪うダメ押しでバックアップ。最高の形で戦国千葉を制した。「甲子園でも習高(ナラコウ)野球をやりたい」と佐々木。21世紀最初の夏、あの習志野が帰ってきた。【鳥谷越直子】
◆佐々木康太(ささき・こうた)1983年(昭和58年)8月19日、千葉県八千代市生まれ。野球は愛知・扶桑東小3年から始める。5年生で千葉に戻り、大和田中ではエースとして2年秋に八千代市大会優勝。家族は両親と兄。180センチ、75キロ。右投げ右打ち。