▼8月1日付紙面より
都立の星が、再び輝いた。東東京で城東が岩倉を5―4で下し、都立校として史上初の2年ぶり2度目の優勝を果たした。2回に金子佳寛内野手(3年)の3点三塁打で先制。9回に1点差に迫られたが、小松崎豊投手(3年)が粘り強く完投し、ノーシードから140校の頂点に立った。大阪では上宮太子が大阪桐蔭を延長11回、6―5で破り、初出場を決めた。これで49代表が出そろい、8日から日本一を目指して熱戦が始まる。
(写真=2度目の甲子園出場を決めた城東ナインは学校のある亀戸まで電車で移動、茶川主将が握る優勝旗に居合わせた乗客も驚いていた)
逃げ切った
苦しんだ分だけ大きな喜びを、応援してくれた人々に伝えたかった。2度目の優勝を果たした城東ナインは、真っ先に満員に膨れ上がった三塁側スタンドへ駆け寄った。クラスの友人、先生、中学の旧友、近所の知った顔が集まってくる。金網越しの握手に、熱い気持ちが伝わった。エース小松崎は「本当にみんなが来てくれた。うれしかった」と都立校ならではの応援に感謝した。
強い都立を結果で証明した。2回2死満塁、9番金子の走者一掃三塁打で3点を先制。大会チーム打率3割7分9厘の強打を発揮した。9回は1点差に迫られ、なおも1死一、二塁。梨本浩司監督(37)が「ハラハラした。神に祈った」という危機。左腕横手からシュートを武器に力投した小松崎は、疲労で左足をつっていた。それでも「緊張したが、負けたくなかった」とひるまない。二塁走者をけん制で刺し、最後の打者を二塁ゴロに仕留めた。両手を天に突き上げるエースに、集まった選手の輪はたちまち大きくなった。
150試合で力
平日のグラウンドは他部との併用で、内野しか使えない。土地の問題は東東京で「ほとんどの都立が抱える問題」(梨本監督)だ。だが「最初から気持ちで負けたらダメ。考え方1つでハンディは乗り越えられる」と梨本監督は語った。朝7時〜8時まで外野の練習。週末は練習試合を繰り返した。昨秋から実に150試合以上をこなし、実戦で力をつけた。
地元の声援も大きな味方だ。小松崎はこの冬に左ヒジを脱きゅう。だが学校の近くにある接骨院の遠山信政さん(28)が全面バックアップした。休日もテーピングにマッサージを施した。この日も球場に駆けつけた遠山さんは「地元のチームだから協力したい」と笑顔を見せた。
2年前の夏は甲子園で初戦敗退。梨本監督は「都立、私立関係なく勝ちたい」と語った。前日は関東一から、この日は岩倉から千羽づるを託された。地区優勝だけでは満足しない。目標は、都立校初の甲子園1勝しかない。【栗原弘明】
■優勝旗と電車移動
試合から1時間半後、選手は地元にがい旋した。チームに専用バスはない。ユニホーム姿のまま神宮球場を出て、JR信濃町駅から亀戸駅に電車で移動した。車内では乗客も驚きの表情だった。亀戸駅から学校まで15分の距離を徒歩でがい旋。沿道に出た地元1500人の熱烈な出迎えを受けた。校庭で茶川剛史主将が「優勝できたのはみんなのおかげです」とV報告した。
試合中は大島三丁目会館に住民30人が集まり、試合終了と同時に祝杯を挙げた。江口博之町会長(68)は「今年は前の経験があるから落ち着いているね。でも活気が出る。今後も私立に負けない応援をしたい」と喜んだ。「甲子園へ夢乗せて、下町の星」「ガンバレ、わが町の星、都立城東高」の筆で書いた手作りの横断幕が掲げられた。地元のらかん通り商店街には「目指せ甲子園!都立の星」ポスターが張られていた。
甲子園では、チーム宿舎に応援はがきを送る予定。募金も昨年だけで区全体で8500万円集まり、2年前の熱気はそのままだ。
■俺たちより強い
スタンドでは99年のVメンバー20人が応援した。大会中はOBが打撃投手を務めることもあった。2年前の決勝で完封勝利を飾った池村隆広さん(法大2年)は「前回の時より強い。楽しそうな雰囲気は自分たちに似ている」。当時の福永泰也主将(東京学芸大2年)は「大会が進むごとに力をつけた」と語った。生徒約600人が集まり、父母会150人もチームカラーの緑のメガホンで声援。米沢晃校長(56)と室橋昭江東区長(72)も球場に駆けつけた。米沢校長は「江戸川の分も伸び伸びやってくれた」。室橋区長は「江東区民の誇り。甲子園初勝利を期待しています」と語った。
◆都立校の甲子園出場 80年に国立が初出場。エース市川(のち東大野球部で活躍)が西東京大会8試合81回を1人で投げ抜き、決勝で駒大高に2―0で快勝。甲子園では大会初日に箕島(和歌山)と対戦、0―5で敗れた。城東は99年、決勝で駒大高を3―0で下し、東東京で都立校として初の甲子園出場を決めた。池村投手が4安打完封。甲子園では智弁和歌山に2―5で敗れたが、都立校として初得点を挙げた。