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宮城代表 仙台育英 (3年連続18度目)

宮城大会の写真

宮城大会決勝(宮城球場)
 東  北
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 仙台育英
 (延長11回)
 【東】高井―熊谷
 【仙】芳賀―白山

「抜けてくれ」仙台育英・佐藤琢魂の一打

▼7月27日付紙面より

 佐藤琢真中堅手(3年)の祈りが天に届いた。「何でもいいから抜けてくれ!」。延長11回2死二塁、外角直球を振りぬくと、ボールは一、二塁間を強襲、東北の佐々木啓二塁手(3年)のグラブをはじき、後方に転がった。一塁にヘッドスライディングしたときはすでに、二塁走者の金沢正行遊撃手(3年)もホームに飛び込んでいた。

 13回目の宿敵対決は、仙台育英・芳賀崇(3年)東北・高井雄平(2年)のセンバツ両左腕による息詰まる投手戦になった。延長11回表を終えて、0―0。高井とは過去2回対戦。いずれも14三振の完封負けを喫している。この日もそれまで3安打12三振。チームが高井から初めて奪った1点が、貴重な決勝点となった。11回裏、1死から送りバントを命じ佐藤琢にかけた佐々木順一朗監督(41)も「よく打ってくれた」とうなった。

 今春のセンバツで準優勝した仙台育英だが、決して順風ではなかった。主力にケガ人が続出。佐藤琢もその1人だった。右太ももの古傷が右足首にも負担をかけた。甲子園初戦の海星(三重)戦で、劣勢から同点打とサヨナラ打を放ち主役となったが、代償は大きかった。

 仙台に戻り、回復の兆しが見え始めた5月、今度は右ひざを負傷。「焦りましたね」と苦笑する。完治したのは6月末で、今大会もフル出場は2試合だけだ。主役不在中はチームは苦戦。代打で出場した春季宮城県大会決勝は東北に2―5で苦杯をなめた。東北大会も金足農(秋田)に準々決勝で敗退。同じくセンバツで肩を痛めた芳賀と「夏の1戦に間に合わせよう」を合言葉に、プール歩行など、リハビリに努めた。

 ひたすら耐えてきた男が、うっぷんを一打に込め、再びヒーローの座に舞い戻った。「春に置いてきたものがある。それを取りに戻ります」。笑顔で大旗の白河越えを誓っていた。【北村典子】

 ◆佐藤琢真(さとう・たくま)1984年(昭和59年)3月25日、埼玉県川越市生まれ。小学2年で川越全クラブで野球を始める。中学までのポジションは投手と右翼手。好きな選手はバリー・ボンズ。家族は両親、妹2人。175センチ、70キロ。右投げ右打ち。血液型はB。

(写真=(上)11回裏佐藤琢が右前にサヨナラ打を放つ (下)延長11回裏2死二塁、佐藤琢の右前打で二塁走者の金沢がサヨナラの生還。ナインはホームベースに駆け寄る)

◆Vへの足跡◆
2回戦 7―0気仙沼
3回戦11―0仙台一
4回戦 9―2仙台工
準々決勝4―1東北学院榴ケ岡
準決勝 8―1仙台西
決勝  1―0東北

 ◆仙台育英 1905年(明治38年)創立の私立校。生徒数は4991人(うち女子1021人)。野球部は30年創部。夏の甲子園は17回出場。89年に大越基(30=ダイエー)を擁しての準優勝が最高。今春のセンバツでも準Vに輝いた。宮城県仙台市宮城野区宮城野2の4の1。加藤雄彦校長。


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