▼8月1日付紙面より
上宮太子のニューヒーロー田村和也投手(1年)がマウンド上にいる。次々とナインが駆け寄った。16歳の左腕は赤褐色のグラブを天に掲げ、すぐ歓喜の輪に埋もれた。「信じられない。甲子園なんて、夢にも思わなかった」。田村は表彰式が終わっても、ぼうぜんとしていた。熱闘175球。入学後4カ月足らずの少年が創部4年目の若いチームを初めての夏に導いた。
主役の交代劇は9回裏に起こった。1点リードの9回裏無死一塁。大阪桐蔭・中村を打席に迎えても、逃げなかった。「コーナーに決めれば、打ち取れると思っていた」。カウント2―3から直球。内角高めに浮いたが、気迫が中村を圧倒した。高校通算83本塁打の中村から2個目の三振を奪う。いずれも空振りだった。
中村対策は「強気」の一言に尽きた。春季大会準決勝では、エース金山隆一(3年)が中村から3本塁打を浴び11―12で敗れた。「外角や変化球で逃げたから」と捕手の松倉信一(3年)は反省。しかしリベンジするはずの先発金山は1回途中3失点で降板。緊急リリーフ田村に強気な投球を求めた。
田村には「投げられる喜び」があった。中学2年の時に左手首を骨折した。複雑骨折に近い重傷で「もう投げられない」と深刻に悩んだ。しかし「甲子園で投げたい」という思いが夢を終わらせなかった。10キロまで落ちた握力をリハビリで回復させ、50キロまで戻した。
延長10回裏2死満塁のピンチも切り抜け「スタミナ不足だったけど、中村さんを抑えて自信になりました」と1試合で大きな成長を見せた。「本当に粘り強く投げた」と山上監督も絶賛した。そして、初の甲子園。「まずは1勝です。それから全国制覇をしたい」と田村は声を弾ませた。中村から主役の座を奪った1年生左腕が大舞台に立つ。【田口真一郎】
◆田村和也(たむら・かずや)1985年(昭和60年)4月19日、東大阪市生まれ。もともとはサッカー少年だったが、小学4年時に「若江ジャイアンツ」(硬式)で野球を始めた。父、母、弟の4人家族。直球は最速134キロ。178センチ、68キロ。左投げ左打ち。
(写真=(左)優勝を決め、マウンド上で抱き合う上宮太子の田村(左)と松倉のバッテリー (右)甲子園出場を決め喜ぶ上宮太子ナイン)
■3番白滝トイレで発奮
決勝打を放ったのは、それまで5打数1安打の3番白滝裕基(3年)だった。同点で迎えた延長11回表1死一、二塁の場面。大阪桐蔭3番手大城裕児(3年)のインハイ直球を左中間にはじき返し、二塁走者松倉を本塁へ迎え入れた。「11回表が始まる前に、山上監督とベンチ裏のトイレで擦れ違った。活躍しとらんやないかと言われて、燃えてました」と話していた。