▼7月31日付紙面より
埼玉は花咲徳栄(はなさきとくはる)が初栄冠を手にした。昨秋急逝した稲垣人司前監督(享年68)の悲願を実現しようとエース宮崎浩精(こうせい=3年)がこん身の力投。春日部東を2安打に完封した。花咲徳栄と初芝橋本(和歌山)明豊(大分)は春夏を通じて初の甲子園。東東京では都立の星・城東が2年ぶり決勝進出。今日31日、岩倉と代表の座を争う。大阪でも決勝が行われ、全49代表が出そろう。
(写真=優勝を決めマウンド上で右手を突き上げてガッツポーズのエース宮崎を中心に喜びを爆発させる花咲徳栄ナイン)
公式戦18連勝
最後の打者・春日部東の渡辺隆洋(3年)を遊ゴロに仕留めた宮崎は、天国で見守る故稲垣前監督に見せるように両手を天に突き上げた。春夏通じて初の甲子園キップを手にした花咲徳栄のナインがマウンドで抱き合った。春から続いている公式戦連勝記録が「18」となった瞬間でもあった。
ミラクル春日部東の快進撃にストップをかけたのは宮崎だった。投げれば投げるほど調子の上がるエースは、連投にも「疲れとかは関係ない。とにかく強気で投げた」。気迫のこもったストレートを内外角に投げ込み相手打線を2安打に抑えた。浜本祐輔捕手(2年)も「ストレート中心。変化球は5、6球しか要求しませんでした」と気持ちを最優先にした配球が功を奏した。29日の準決勝に続き、2試合連続で三塁を踏ませない完封勝利で締めくくった。「墓参りの時に約束した甲子園出場を果たすことができてうれしい」と胴上げ投手は笑顔で語った。
三塁踏ませず
昨秋に亡くなった稲垣前監督が宮崎を横手投げの投手に育てた。同監督は「暇があったら練習しろ。流した汗はうそをつかない」と選手に口癖のように話していた。根元俊一主将(3年)は「宮崎が一番練習していた」と語る。春の大会後、岩井隆監督(31)が「夏に勝つためには内角の球が必要」と話したときも宮崎は黙々と練習した。この日、その内角球が勝負どころで決まった。「ようやく良くなってきた。自信になっています」と宮崎。岩井監督も「制球、スピード、球のキレがよかった」とエースの成長に満足していた。
「稲垣監督のために」を合言葉にして戦ってきた今大会。根元主将は「一番練習した、という自信があるから優勝できた。甲子園でも今まで通り。もう1度、稲垣監督に良い報告をしたいですね」。まだ見ぬ埼玉県勢の全国制覇を虎視眈々(こしたんたん)と初出場で狙っている。
◆故稲垣人司前監督
広島石本秀一初代監督のもとで2年間野球を学び、83年に創価高監督として初めて甲子園に出場した。その後、桐光学園(神奈川)福岡第一(福岡)を経て89年に花咲徳栄の監督に就任。現在の花咲徳栄・岩井隆監督は桐光学園時代の教え子にあたる。昨年10月15日、埼玉県加須市の花咲徳栄グラウンドで横浜隼人との練習試合中、ベンチで倒れ、そのまま病院で死去した。原因は心筋こうそく。享年68歳だった。投手育成の評価が高く、多くの投手をプロに送った。主な教え子に、神田大介(横浜)品田操士(元近鉄)小野和義(元西武)らがいる。