部の存続危機から一丸頂点
天理 マウンドの背番号3、長崎が初めて泣いた。帽子のひさしには「魂」の文字。好きな言葉は「真っ向勝負」。強気な男が「ジワッときました。夢のようでした」。156球目。最後の打者・橋本を自慢の「真っすぐ」で仕留めた。奪った三振は毎回の11個。最高143キロを誇る今大会最速右腕は、決勝では史上13人目の2ケタ奪三振のおまけをつけた。
肩を震わす長崎に、背番号1の小南が、主将の東が飛びつき、ナインもそれに続いた。「やったな。やったよ……。日本一や」。
長崎に負けじと、リードオフマン芦硲(あしさこ)が気を吐く。中京追撃ムードが漂った7回。2点適時打でとどめの4点目をたたき出した。この日は授業で応援学生は100人余り。中京の全校応援に比べて劣勢は否めない。芦硲の一打には、アルプスの夢ばかりか、遠く天理の学校で応援する生徒たちの夢がこもっていた。「生徒はもっと応援に来たかったはずです」。芦硲は言った。
ゼロからの出発が天理を強く支えた。一昨年夏、野球部内で不祥事(部員の飲酒と喫煙)が発覚。スポーツ推薦廃止と同時に、野球部寮「白球寮」は現在の3年生が最後の生徒となった。定員70人の寮に今では17人……。野球部の存続さえ危ぶまれていた。
例年なら下級生が担当した掃除も食事も、3年生が当番で賄う。「グラウンド整備も道具も、自分で管理するようになったんです」と東主将。生活にもたらされた責任感が野球に生かされ、復活への道を歩み始めた。そしてこの栄光。就任2年目の中川英茂監督(50)は「生徒には100万回“よくやった”と言ってあげたい」と目を潤ませた。
天理の全国制覇は7年前の夏以来。当時はエースに南(現日本ハム)がいた。が、今のチームに大黒柱はいない。小粒で粘りが身上。そのチームで今度は史上5校目の春夏連覇を目指す。【牧野真治】
86、90年には夏制覇
◆天理高校 1900年(明治33年)に天理教校として創設。48年(昭和23年)に現在の校名になった。普通科だけの男女共学校で生徒数は1399人(うち女子582人)。野球部は1901年創部。甲子園は春16回、夏19回出場。86、90年夏には全国制覇。野球部員は現在41人。OBに門田博光(元ダイエー)ら。学校所在地は奈良県天理市 杣之内町1260。竹村菊朗校長。
中京・エース大杉「また来る」
中京大中京 涙は似合わない。中京大中京は低かった下馬評を覆しての準優勝。「チームメートには、よく頑張ったと声を掛けたい」。高橋主将が笑顔で言った。
かつて甲子園をわがもの顔で駆け回った名門。その名門らしからぬミスは確かにあった。毎回の11三振、好機での再三のけん制死、盗塁死。「少し硬くなったのかな」。大藤敏行監督(34)がミスの目立った攻撃を振り返る。ヒット数は相手を1本上回る8本。守備ミスはなかった。だが敗れた。「本当に緊張した場面で力を出し切るチームにならないと」と大藤監督。
それでも選手たちは胸を張る。「技術ではなく、気持ちだけでここまで来られました」は、5試合をすべて完投、641球を投げたエース大杉。甲子園での投球は大きな財産となるはずだ。
ナインはだれ一人として、甲子園の土を持ち帰らなかった。「当然また戻ってくるつもりですから」。捕手寺田の目は既に夏を見つめている。「名門復活? まだまだですよ。もっと大舞台で活躍してアピールしないと」。大杉がこう付け加えた。【川尻将志】
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