報徳・永田監督、21年ぶりの男泣き
<報徳学園8−2鳴門工> 選手として夏を制し、20年半の時を経て、春の頂点に導いた永田裕治監督(38)は「こんな幸せ者はいない。本当にいい選手と巡りあえた」と声を震わせた。9回1死、ほぼ優勝を手中にすると涙があふれ出そうになったが「選手が主役」とグッとこらえた。 目の前の光景は小学校4年生の時、観客席で見た「さわやかイレブン」の池田−報徳学園の決勝にだぶる。自身はその時、報徳学園中への進学を決めた。投手志望だったが「すごいヤツ(金村義明氏)がいたので」と捕手、その後外野手に転向。淡く抱いていたプロ野球選手への夢は砕けたが、どうしても野球指導者になりたかった。 中京大卒後、野球関係の就職が決まっていたが、桜宮(大阪)のコーチ要請の声に飛びついた。夢をあきらめられなかったからだ。しかし、90年に念願かなって母校のコーチに就任した時、そこにはかつての名門の姿はどこにもなかった。15、16人の部員。地区大会でコールド負けを喫したこともある。「量より質。1球にかける意気込みを大切にした」練習で再建へひた走った。 一番つらかったのは阪神・淡路大震災の被害を受けた翌年のセンバツ。自身も西宮市内の自宅が半壊し、生徒の帰りの電車を気にしながら満足に練習もできず、甲子園では2回戦敗退。選手のやるせない悔しさを思うとやり切れなかった。「何十倍も楽しく、難しい」と言いながら、中学時代からの夢を結実させた永田監督はマンモスを見渡し優勝の余韻に浸った。【土谷美樹】
◆永田裕治(ながた・ゆうじ)1963年(昭和38年)10月16日、兵庫県西宮市出身。中京大卒。報徳学園中入学後、投手から捕手に転向。高校時代は主に右翼手。81年夏、全国制覇。中京大では主将を務めた。桜宮コーチを経て90年、母校のコーチ、94年から監督を務める。監督として春4回、夏2回甲子園に出場。保健体育事務職員。家族は妻和美さん(34)と1男1女。
◆報徳学園高 1911年に創立。野球部は32年に創部。74年春、81年夏に甲子園優勝。全国高校駅伝を制した実績を持つ陸上部、ラグビー部などが全国レベル。学校は甲子園球場と同じ西宮市にある。OBには近鉄などで活躍した野球評論家の金村義明氏ら。
(写真=ナインから胴上げされる永田裕治監督)
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