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芸能人こっちも本業 マジにやってます
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 歌手・宮陽子(52)
尼僧から変身!仏壇前でギンギンメーク

【8月16日紙面より】

 16日はお盆の最後の日にあたる送り盆。全国のお坊さんは檀家(だんか)回りなどピークを迎えている。栃木市で250年の伝統を持つ新義真言宗・天王山宝蔵院と伊吹山善応寺、2つの寺の副住職で尼僧の大栗洋康(ようこう)さん(52)も例外ではない。「檀家を回って棚経(たなぎょう=精霊棚の前で読経)をあげることが一番の務めですが、新盆の家では普段のお盆よりていねいに供養するために特別に法要を催します。檀家は100軒ありますので、お盆の間は運転手を雇って走り回ることにしています」。

 お盆に入る前にも護摩をたく修法(しゅほう)、過去帳の整理、境内の草取りや掃除など仕事が多く、葬儀や年間の法要が加わるとほとんど眠る時間はない。疲労困ぱいの彼女を支えているのが「早く歌手活動を再開する」楽しみだ。

 演歌歌手宮陽子。もうひとつの「本業」だ。東宝レコードから「白い夜の恋」でデビューして今年で30年になる。ビクター、キングと移籍したが、ご当地ソング「霧の栃木」がローカルヒット、親子の情愛を歌った「母の人生」では数珠を手にマイクを握り、尼僧歌手として話題になった。作曲家遠藤実氏もバックアップしている。

 ♪重い荷車 ひくように 苦労の道のり歩いてた 母の人生…法要が終わり、リクエストがあればマイクを握る。ノーメークの尼僧からギンギンのメーキャップで歌手に変身、仏壇の前で熱唱する。「法要で歌うのは施主の方がにぎやかにしたいと希望された時に限ります。老人ホーム慰問やホールでの公演では思い切り歌手に徹しています。衣装も派手な和服やドレスを選んでいます」。

 上京して芸能界デビューしたが、父親で住職の憲定さんが亡くなり状況が変わった。あるじのいない2つの寺と自宅には寝たきりの母と全盲の姉が残された。歌手に未練を抱きながら剃髪(ていはつ)して仏門に帰依、和歌山県にある総本山・根来寺に入山して1年間修行を積んだ。「母と姉の世話は私がやるしかありませんでした。歌手を断念する決意をしたんです。でも、檀家回りで歌ううちにまたレコード会社から話があって、二足のワラジをはくことになりました。再び歌えたのはご本尊様のおかげだと感謝しています」。

 実兄が会社員をやめて2つの寺の住職になったが、実質は副住職の洋康さんが実務を担当。忙しい合間をぬって歌手として平均月5、6回は施設訪問を行っている。「歌を通して生きる希望や力を与えてあげたい。お金では買えない喜びややりがいを感じています」。人に尽くすのが生きがいだ。【小林秀夫】


 ◆宮陽子(みや・ようこ)本名・大栗康子。僧名・大栗洋康。 1950年(昭和25年)1月26日、栃木市生まれ。県立栃木女子高卒業後の72年、小栗葉子の芸名で歌手デビューをする。76年に父親が亡くなり仏門に帰依。77年に宮陽子と改名し歌手活動を再開し「霧の栃木」が地元でヒット。その後も「母の人生」「人生応援歌」などをリリース、尼僧と演歌歌手で奮闘中。独身。

 ◆仏教 紀元前5世紀ごろ、仏陀(ぶっだ)が説いた教えで「悟りを開いて此岸(しがん=人間の住む世界)から彼岸(ひがん=煩悩のない悟りの世界)へ渡れ」というもの。キリスト教、イスラム教とともに3大世界宗教のひとつ。日本には6世紀ごろに伝来した。平安時代に最澄、空海によって天台宗、真言宗が伝えられ、同末期には法然らの浄土宗が広まった。鎌倉時代には親鸞や日蓮らが庶民の間に新しい仏教を広め、栄西や道元によって禅宗も伝えられた。

 最近は脱サラや定年退職者に志願者が増えている僧侶。得度や修行をへて僧侶になる。国家資格ではないが、各宗派によって教師資格の段階があり、上にいくためには厳しい修行や実績が求められる。



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