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芸能人こっちも本業 マジにやってます
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 歌手・原田悠里(47)
日舞で楽しく魅せる演歌

【8月28日紙面より】

 「芸は身を助けるとはよく言ったものですね。歌と日舞をあきらめないで本当に良かったとステージで熱い思いがこみ上げました」。歌手原田悠里(47)は大きな瞳をうるませ振り返った。99年に念願のNHK「紅白歌合戦」に初出場。昨年まで3年連続出場を果たし演歌界の担い手の1人に躍り出た。その感動が原田の機動力となっている。

 鹿児島大で声楽を学んだ原田はソプラノではなく演歌歌手としてデビュー。異彩を放った。抜きん出た歌唱力ですぐさま「木曽路の女」「安曇野」の連続ヒットを飛ばしたが、その後は長い低空飛行が続き「紅白」初出場までは実に18年の歳月を要している。

 ♪林檎も桜も一緒に咲いて 北の津軽は花盛り…「紅白」をたぐり寄せた曲「津軽の花」はファンには衝撃的だった。歌いやすい軽快なメロディー。派手な衣装の原田が軽やかなステップ、ファンタジックな振り付けで明るく歌う。楽しく魅せる演歌の誕生。その原動力の1つが日舞だ。

 「日舞をやっているからステージでの踊りや振り付けにも自信が持てるようになりました。踊りの基礎があるからのびのびと羽目が外せるし、舞台をフルに使えるのだと思います。歌いながらピョンピョン跳ねたりするので『ジャンプの原田』と呼ばれることもあって、うれしいですね」。

 子供のころから踊りが好きで、大学時代に藤間流に通ったこともあるが、本格的に日舞に打ち込んだのは10年前。歌手として行き詰まりを感じていた時「自分を磨きたい」と立川市の花柳八代さんの弟子になった。横浜から通うため時間はかかったが、けいこに励み、7年前に名取に。花柳八代有梨(やよゆり)を襲名した。2年に1回行われる発表会を中心に日舞を生活サイクルに組み込み「伝統芸能を大事にしてはぐくんでいきたい」と言う。

 芸能界では際立って器用な人でもある。大学ではイタリアオペラを学び、教員資格を取った。卒業後は2年間の小学校教諭を体験。4オクターブのクラシックから2オクターブで歌う演歌への転身もクリアした。早大特別講師を引き受け、今でも他大学の1日講師をつとめることがある。美空ひばりとオペラ歌手マリア・カラスの比較論を「ひばりとカラス」の本にまとめた。バイオリニストの佐藤陽子さんに勧められて陶芸にも打ち込み陶器作品展に出品。他にも音楽学習ソフトの開発にも参加した。

 自己研さんとして始めたことを趣味に終わらせず、着実に形にしている。「津軽の花」に続く「夢ひとすじ」「三年ぶりの人だから」でも日舞を取り入れ、華麗な振り付けやステップでヒットに結びつけた。あざやかな衣装に光輝く装身具を身に付け「いつも究極の派手さを求めて楽しいステージをプレゼントしたい」。赤い気炎の進撃は止まらない。【小林秀夫】


 ◆原田悠里(はらだ・ゆり)本名・原田よしみ。1954年(昭和29年)熊本県天草生まれ。鹿児島大教育学部音楽科卒。北島三郎に師事して82年に「俺に咲いた花」で演歌歌手デビュー。85年に「木曽路の女」「安曇野」のヒットで人気がブレーク。「津軽の花」がヒットした99年以降3年連続でNHK「紅白歌合戦」に出場。最新曲は「おんな坂」(作詞・作曲原譲二)。独身。血液型はA。

 ◆日本舞踊 西洋舞踊に対して、日本古来の伝統的舞踊のすべてを指すが、一般的には歌舞伎舞踊のこと。日舞、邦舞ともいう。江戸では動的な歌舞伎舞踊が発展したが、京阪では上方舞と呼ばれる静的な舞が誕生した。大正時代の新舞踊運動で、多くの流派が生まれた。現在は各流派ともに家元を中心に門弟である名取によって構成、維持されている。日舞の団体数は300を超すといわれる。

 ◆教員資格 教員は学校などで児童、生徒などを指導する者の法律的な名称。資格としては教員免許状を持ち都道府県の教員採用試験に合格した者、あるいは私立学校に採用された者。教員採用試験は都道府県などの教育委員が実施するもので、教員免許状取得者または年度内取得見込みで年齢制限を超えない者を対象にしている。



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