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2002年W杯まであと500日・・・・・。2002年5月31日の日韓共催W杯開幕まで、1月16日であと500日と迫った。世界の予選も本格化し、国内の準備も大詰めを迎えている。アジアで初めて開催される五輪を超える人類最大のイベントを前に「W杯がやってくる」を連載する。
「スーパースター」ヨハン・クライフ。オランダ代表の背番号14は、エースとしてトータル・フットボールを完成させ、1974年西ドイツW杯で世界中に衝撃を与えた。わずか1回の出場ながら、サッカーの楽しさと美しさを多くのファンに見せてくれた「空飛ぶオランダ人」は、選手、監督としての数々の栄光を手にしてサッカー界から引退。20世紀最高のフットボーラーといわれる53歳のクライフ氏に聞いた。 <第73回>3月31日 日本代表のみなさん、シュートしてますか <第72回>3月30日 W杯は美しい敗者を作る <第71回>3月29日 サッカーとはテクニックだ
34年間にわたり、サッカーを見続けてきた筋金入りのサポーターがいる。大阪在住の経営コンサルタント、市村保雄氏(51)は、1982年スペイン大会、86年メキシコ大会を現地で観戦。日本ではマイナー競技だった時代からスタンドに足を運び続けた同氏の、W杯の興奮、日本代表への思い入れを2回にわたって語ってもらう。 <第70回>3月28日 スポーツ文化としての継続を <第69回>3月27日 V感激イタリア人と痛飲
1本のFKが日本を変えた。1985年(昭和60年)10月26日、東京・国立競技場でのメキシコ大会アジア最終予選対韓国第1戦。日本代表の背番号「10」は、FKを直接決め、W杯への扉に手をかけた。日本のファンに初めて「世界」を感じさせてくれた元横浜MのMF木村和司氏(42)が、熱い思いを語った。 <第68回>3月26日 サッカーを文化に高めるために <第67回>3月25日 仏との試合、正直うらやましい <第66回>3月24日 賭けジュース練習がサッカー変えた
今だから話せる真実がある。1997年11月16日、マレーシア・ジョホールバルでのイランとの死闘でFW岡野雅行(28=浦和)はVゴールを決め、サッカー史に残る英雄となった。ピッチに出ることさえためらうプレッシャーの中、限界ギリギリの精神状況で決めたゴールだった。あれから4年、「野人」があらためてW杯を語る。 <第65回>3月23日 「1点で変わった周囲の目」 <第64回>3月22日 夢を運んだVゴール
華麗なテクニックと抜群の得点能力でブラジルの英雄となった。ペレの再来、そして「白いペレ」とも呼ばれた。1982年スペイン大会では、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾと組んだ「黄金のカルテット」を率いたジーコ氏(48=現鹿島テクニカルディレクター)。魅惑の中盤の中心選手が、W杯を語った。 <第63回>3月21日 ケガするな1次リーグ突破できる <第62回>3月20日 「勝って当たり前」重圧あった98年 <第61回>3月19日 勝利よりプロセス/出場3大会1度も手を抜かず <第60回>3月18日 黄金のカルテット/82年スペイン大会
冷静沈着なプレーと勝負に対する熱いハートが、世界のストライカーを沈黙させた。国際Aマッチ150試合に出場したドイツの闘将は、1980〜90年代のW杯の象徴でもあった。ローター・マテウス氏(39)。激動の時代を走り続けた世界のリベロに聞いた。 <第59回>3月17日 運営もプレーも過去にない大会を <第58回>3月16日 地元開催が夢現実させた <第57回>3月15日 大舞台の特別な空気
23年前、1978年のアルゼンチン大会で自国優勝を飾ったアルゼンチン代表に、現在Jリーグ横浜を指揮するアルディレス監督(48)がいた。82年にはマラドーナとともにスペイン大会にも出場した往年の名選手だ。同監督は、自らの経験を振り返り、同じ自国開催を控える日本代表にアドバイスした。近い将来に代表監督としてW杯出場を目指す先駆者の声を、3回にわたって紹介する。 <第56回>3月14日 日本代表への思い <第55回>3月13日 22歳マラドーナ擁し敗戦の教訓 <第54回>3月11日 苦難の末に得た欧州切符
柏でプレーする韓国代表DF洪明甫(32)は、アジアで最もW杯を知る選手だ。1990年イタリア大会から3大会連続出場、出場試合数9というアジア記録も持っている。国際Aマッチ119試合に出場した洪にとって世界とは、W杯とは何か。きょうから3回、アジアの壁が夢舞台を語る。 <第53回>3月10日 各年代で定期戦行い代表強化 <第52回>3月9日 日本に負けて出場をあきらめた <第51回>3月8日 敗退翌日に舞い込んだオファー
元イタリア代表のロベルト・バッジオ(34=ブレシア)にとって、W杯は人生そのものだ。地元開催の1990年イタリア大会以来3大会連続出場し、歓喜と屈辱を味わった男が、あらためて夢舞台を振り返る。 <第50回>3月7日 4大会連続出場あきらめない <第49回>3月6日 サッカーの怖さ知った94年米国 <第48回>3月5日 82年イタリアV…あの感激、誇り
1974年西ドイツ大会以来、7回連続「出場」している日本人がいる。レンズを通して日本のファンに大会の魅力を伝えてきたフリーカメラマンの富越正秀氏(53)。スーパースターとの出会い、スーパープレーへの陶酔、グラウンドレベルで触れたW杯をきょうから3回、振りかえってもらう。 <第47回>3月4日 試合よりサポーターの熱狂 <第46回>3月3日 選手のすごさ感じる幸せ <第45回>3月2日 キャンセル待ちで取材切符入手
「世界のMF」といわれたボビー・チャールトン氏(63)は、地元開催の66年W杯でイングランドを優勝に導いた。代表通算49ゴールは現在も同国の最多得点記録として歴史に刻まれている。今日から2回は、伝説の英雄がW杯を語る。 <第44回>3月1日 地元で日本が勝つために <第43回>2月28日 世界一になるために
日本代表が初出場した1998年(平成10年)フランス大会で、国際主審の岡田正義氏(42)は日本人審判として3人目となるW杯審判を務めた。マルセイユのベロドローム競技場で行われたイングランド―チュニジア戦で主審としてピッチに立った同氏は、初の大舞台で見事に試合をコントロール。きょうから3回、審判にとってのW杯を語ってもらった。 <第42回>2月27日 ホスト国の予選免除なし <第41回>2月26日 選手と同じ審判の思い <第40回>2月25日 フランスのピッチ
ドイツに「日本サッカーの父」がいる。1960年(昭和35年)に初来日し、日本サッカーの基礎作りに尽力したデッドマール・クラマー氏(75)。日本をメキシコ五輪銅メダルの栄光に導いた名将が、成長した日本サッカーと、第2の故郷で行われるW杯について熱く語った。「恩人」の声を、3回にわたってお届けする。 <第39回>2月24日 海外修行が精神的強さ生む <第38回>2月23日 ユース年代強化が世界一への近道 <第37回>2月22日 「平和の中の戦争」
横浜MF中村俊輔(22)は、2002年W杯を「うまくなるための大会」と言う。海外移籍のためでもなく、金銭や名誉を得るためでもない。中村にとって、それは世界にステップアップするための舞台だ。若きレフティーは18日、福島・Jヴィレッジで始まった日本代表候補合宿にも参加。今日から3回、中村にとってのW杯を、本人の声で紹介する。 <第36回>2月21日 「W杯は“真ん中”」 <第35回>2月20日 「テレビで見たフランス大会」 <第34回>2月19日 「2002年に向けて」
日本のファンが、初めてW杯を目にしたのは、1970年のメキシコ大会だった。東京12チャンネル(現テレビ東京)金子勝彦アナウンサー(66)の声が、感動を伝えてくれた。以来30年間、ファンのバイブルだった「ダイヤモンドサッカー」などで世界のサッカーの素晴らしさを伝え続けてきた金子氏に聞いた。 <第33回>2月18日 スポーツ界全体で日本の遺産に <第32回>2月17日 「快晴のミュンヘン」から初の衛星生中継 <第31回>2月16日 毎週100万人が見た70年大会
ゴール前に突然現れた。強豪ブラジル相手にハットトリックを演じた。1982年スペイン大会、大舞台に登場したスーパーヒーローはイタリアを3度目の世界一に導いた。かつて「バンビーノ・デ・オロ(黄金の子供)」と呼ばれ、同大会得点王にも輝いたパオロ・ロッシ氏(44)に聞いた。 <第30回>2月15日 かつての「飾り窓」今は試合専念 <第29回>2月14日 小柄な私に勇気をくれたペレ <第28回>2月12日 仲間の信頼が生んだ6得点
日本代表フィリップ・トルシエ監督(45)に常に寄り添い、言葉だけでなく、喜怒哀楽まで訳す青年、フローラン・ダバディー氏(26)の役割は、単に通訳にとどまらない。「パーソナルアシスタント」といった方がふさわしい。指揮官が最も信頼する、このパリジャンがいなければ、これまでのトルシエ・ジャパンの成長はなかったし、2002年W杯での日本代表の活躍もないだろう。日本と日本人を心から愛するダバディー氏の熱い胸の内を、4回にわたって紹介する。 <第27回>2月11日 監督の理念を尊敬して <第26回>2月10日 代表が国のイメージを変える <第25回>2月 9日 国や民族を超えた日本代表 <第24回>2月 8日 おたく談議で指揮官励ます
日本が初めてW杯予選に出場したのは、スイス大会を控えた1954年(昭和29年)3月7日に神宮競技場で行われた日韓戦だった。1―5で敗れたが、記念すべき初ゴールを決めたのが日本組織委員会の長沼健副会長(70)だった。W杯日本招致のけん引役だった長沼副会長に、W杯への思いを語ってもらった。 <第23回>2月 7日 日韓心を合わせて”運営&試合”に勝つ <第22回>2月 6日 W杯への決断/後任岡田を進言した加茂監督 <第21回>2月 5日 歴史的初ゴール/47年前のW杯の初予選
日本に住む韓国人、在日韓国人はどういう思いでW杯を迎えるのか。在日本大韓体育会の金英宰(キム・ヨンジェ)名誉会長(66)に、W杯への期待と2002年での彼らの役割を2回にわたって聞く。 <第20回>2月 4日 民間レベルで始まった共同応援団 <第19回>2月 3日 「日韓の懸け橋に」/国境のない時代への第1歩
サッカーの国際大会になると必ず問題になるのがフーリガン騒動。日本では、まだ経験のないフーリガン対策に取り組んでいるのが日本組織委員会(JAWOC)セキュリティー部の石田高久部長(39)だ。大会警備の特徴や問題点、フーリガン対策などを聞いた。 <第18回>2月 2日 イングランドより日本が怖い? <第17回>2月 1日 ニコニコ作戦でトラブル撃退 <第16回>1月31日 交通対策/切符購入に工夫を…パスを出しても
「アジアの壁」といわれた浦和DF井原正巳(33)が、日本が初体験した夢舞台について熱く語った。主将として臨んだ1998年フランス大会、悲願の初出場までの苦労、そして少年たちへのメッセージなどを3回にわたって連載する。 <第15回>1月30日 少年たちに夢を/W杯を生で…例え練習でも <第14回>1月29日 「絶対に行く」気持ちがドーハを克服 <第13回>1月28日 初めて踏んだ夢舞台「異常な高ぶりをもう一度」
NHKのスポーツアナウンサーとして活躍した西田善夫氏(64)は今年4月、横浜国際総合競技場場長として就任4年目を迎える。2002年W杯の決勝会場の総責任者として、W杯にかける熱い思いを3回にわたって連載する。 <第12回>1月27日 陸上との兼用 今は誇り <第11回>1月26日 1週間後の五輪よりW杯 <第10回>1月25日 最高の芝生へ我慢の時
本番までのカウントダウンが始まって、日本組織委員会(JAWOC)の仕事も多忙を極める。同委員会の遠藤安彦事務総長(60)に聞いた。 <第9回>1月24日 一番の心配はIT問題 <第8回>1月23日 日韓そろって初めて成功
日本サッカー協会の岡野俊一郎会長(69)が、1年半後に迫った2002年W杯への思いを、さまざまな角度から語った。協会トップとして、サッカー人として、その胸の内を4回にわたって紹介する。 <第7回>1月22日 寄付金還元 世界を感じ取って欲しい <第6回>1月21日 「強い日本」作る頑丈な土台 <第5回>1月20日 教育、医療…競技場の地域活用を <第4回>1月19日 夢のまた夢が現実になった
連載「W杯がやってくる」の第1回は現世界王者のフランス代表主将で、国際サッカー連盟(FIFA)が制定する昨年のMVPジネディーヌ・ジダン(28)が登場。W杯への熱い思いを語る。 <第3回>1月18日 自国開催の“利” <第2回>1月17日 86年メキシコW杯が原点 <第1回>1月16日 連覇へ静かに燃える ■関連記事
<2月13日付本紙> ・nikkansports.comに掲載の記事・写真・カット等の転載を禁じます。 すべての著作権は日刊スポーツ新聞社に帰属します。 Copyright2001,Nikkan Sports News. |