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【バックナンバー】

<233回>W杯代表を狙う選手たち/鹿島FW柳沢敦

頭とハートでレベル上げる

 大会を待つのは、街やファンばかりではない。熱い思いで待っているのは、選手たちだ。母国で行われるスポーツ界最大の祭典。その大舞台に立つために、選手たちは自らをトルシエ監督に、ファンにアピールする。今日から、地元大会を迎える選手たちの武器、アピールポイントを紹介する。第1回は鹿島のFW柳沢敦(24)の「数字に表れない動き」だ。

 数字にならない動きが日本でもっともうまい。どうすれば得点できるのか、柳沢は考える。「自分の動きで得点が生まれれば、すごく満足できる」。攻撃の起点としてDFからボールを受け、MFへ正確なパスを戻す。ボールタッチの回数を増やし、攻撃を流れを乗せる。武器は、記録に残らない状況判断の良さだ。

 このスタイルの原点は13歳までさかのぼる。富山・大泉中入学時に入ったクラブ「FCひがし」で頭を使ったプレーを指導された。ここでは、週3回の練習でも雨天時には室内で欧州リーグのパス展開を編集したビデオによるプレー研究に時間を割いた。FCひがし卒業後も関係者からビデオをもらった。自分のプレーだけでなく、ハンドボールなどチーム戦術を必要とする競技も編集されていた。柳沢は他競技もヒントに今のスタイルを確立した。

 数字に表れないプレーは時に周囲から誤解を受けてきた。ゴールへの積極性が欠けるとも言われた。実社会でも営業のような数字が出る仕事以外の実績評価は難しい。努力しても理解されないことは多い。柳沢も「ゴールさえ奪えばいいのか」と何度も悩んだ。自らの信念とのジレンマを感じ続けた末に、1つの答えを導いた。「個人のテクニックはすぐには向上しない。でも、頭を使ったプレーは限界がない。考えれば常にレベルは上がる」。

 今季は得点への意識も強くしたが「サッカーは頭とハートでやるもの」と状況判断を意識したスタイルは同じ。自称「頑固者」。13歳から11年たった今でも、その信念は変わらない。【藤中栄二】

 ◆柳沢敦(やなぎさわ・あつし)1977年(昭和52年)5月27日、富山・小杉町生まれ。小学1年からサッカーを始める。最初はウイングで同4年からストライカー転向。富山一高では93、95年度の全国選手権出場。96年に鹿島入り。代表Aマッチは98年2月15日オーストラリア戦でデビューし通算19試合7得点。家族は父昭行さん(54)姉実希さん(25)。177センチ、75キロ。


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