ニッカンスポーツ・コムへ
インデックスサッカーTOP

【バックナンバ ー】

<260回>夢舞台を待つ選手たち/横浜MF中村俊輔

トップ下こだわり苦悩

 日本NO・1のテクニックと、「寝て見る夢までもサッカー」というほどの探求心―。この2点こそ、中村の最大の武器であり、日本屈指のトップ下に成長させたものだ。本人も強く自負している。だが、W杯を8カ月後に控えた今、その自負が「もろ刃の剣」になってきた。

 日本代表トルシエ監督は左サイドで構想しているが、中村は「自分が良ければ戦術も変わる」とトップ下にこだわる。現実は、トップ下でプレーする横浜でも結果が出せずに、代表の座が危うくなっている。大きなジレンマが生まれた。現在の中村にとっては、代表こそが最高レベルのチームで「うまくなるための」手段でもある。欧州遠征メンバー落選の際には「つらい」と正直に漏らした。悩みは深い。

 昨季MVPを獲得。今季は、3月フランス戦大敗で落ち込み、5月上旬からは、ケガと病気で70日間のブランクを余儀なくされた。代表からも漏れた。その間、年下の小野、稲本、高原が海を渡った。焦った。「12月には移籍したい」。遅れを取り戻そうと、フロントに直訴もした。

 8月に代表復帰したが、またも左サイド。結局ベンチで過ごした。この時期に流れた同姓同名の俳優が演じ、中村をパロディー化したCMには「オレがどんな気持ちでサイドをやってると思ってんだよ」と口をとがらせた。

 たとえ左サイドに甘んじても、W杯という経験は逃せない。トルシエ監督のアシスタント、ダバディー氏は「個人的な意見だけど、俊輔は最終的には戻ってくると思う。小野のように柔軟な考えになってほしいね」と期待する。現実と理想のはざ間で、トップ下へのこだわりと、どう折り合いをつけていくのか。いつ吹っ切れるのか。中村から目が離せない。【柳田通斉】

 ◆中村俊輔(なかむら・しゅんすけ)1978年(昭和53年)6月24日、横浜市生まれ。横浜ジュニアユース、桐光学園高を経て、97年に横浜M(現横浜)入りした。00年にはJリーグMVP。各年代の日本代表を経験し、00年にシドニー五輪出場。A代表は00年2月のカールスバーグ杯から。国際Aマッチ通算17試合出場3得点。Jリーグ通算132試合27得点。178センチ、69キロ、血液型O。


・nikkansports.comに掲載の記事・写真・カット等の転載を禁じます。
すべての著作権は日刊スポーツ新聞社に帰属します。
Copyright2001,Nikkan Sports News.