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【バックナンバ ー】

<271回>夢舞台を待つ選手たち/磐田MF名波浩

左足が繰り出す7色パス

 ボールの表面は、点の集合−。名波の左足が表現する精密なボールタッチは、そんな当たり前のことを思い出させる。角度、軌道、強弱、回転、飛距離、そして到達地。自分が思い描いた通りのパスを出すために、無数の点の中から1点を選び出して蹴る。

 天才とみられるが、実は「理論派」「努力型」だ。試合後に「だれが、どちらの足で、どこに蹴った」までそのゲームを再現できる。テクニックも、田んぼで生まれた。静岡・藤枝市。小学生時代の練習場は、近所の田んぼだった。シーズン。稲の切り口が残る田んぼでは、ボールはイレギュラーしてばかり。体勢も不安定。しかし、瞬時に動きを読み取り、的確に蹴れば、ボールが思い通りに動くことが分かった。名波少年は、泥んこになりながら、正確無比のコントロールを身につけていった。

 左足1本に両足分の練習量を注いだことも「1点をとらえる左足」を磨いた。だから右足は走るためだけにあると割り切っている。高校時代に名波は、受け手の利き足や反転の向きまで研究し、その足元に合わせ、ピンポイントで落としていた。

 「パスの数だけキックの種類がある」。本人がそう表現したプレーは、99年のベネチア移籍でさらに進化した。関係者は「遊びがなくなった」と証言する。国内では、ループをかけるなど華麗かつ芸術的パスを繰り出す余裕もあった。セリエAでは、スピードと強さがなければ通用しなかった。パスの質が厳しくなった。「受け手に合わせる」パスに加え、中田英寿(パルマ)のキラーパスのような「受け手を動かす」パスも増えた。

 今月、右ひざの手術を受けた。3カ月後、そしてW杯本番で、半生をかけて磨き上げた左足が、世界をうならせるはずだ。【清水優】

 ◆名波浩(ななみ・ひろし)1972年(昭和47年)11月28日、藤枝市生まれ。同市の西益津小でサッカーを始める。名門清水商高、順大とエリートコースを歩み、95年磐田入り。99年セリエAベネチアにレンタル移籍した。成績は34試合中24試合出場、1ゴール3アシスト。昨年9月に磐田に復帰した。日本代表キャップ68、9得点。家族は父元一さん(61)母祥江さん(58)兄3人。177センチ、71キロ。血液型AB。


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