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【バックナンバ ー】

<276回>夢舞台を待つ選手たち/柏MF明神智和

海外目指し「代表」奪回宣言

 明神智和(23)の持ち味は、献身的なプレーだ。チームの勝利のためには、自身の犠牲をいとわない。瞬時の判断で相手ボールを奪い、攻撃の起点となる。当然、試合中に手を抜くことは一切せず、終了時にはぶっ倒れるほどエネルギーを消耗している。

 豊富な運動量から「無尽蔵なスタミナ」で知られる。しかし、今季の明神は、疲労に苦しめられてきた。昨季の体の酷使が効いている。シドニー五輪、アジア杯の全試合に出場し、帰国後は柏の優勝争いに身を投じた。代償として体の奥に疲れが蓄積し、森島寛晃(C大阪)が苦しんだオーバートレーニング症候群に似た状態に陥った。

 キャンプを経ても、コンディションは上向かなかった。3月25日フランス戦。鉛のような体のまま、明神は右サイドを務め、45分間でピッチを去った。ベンチに退けられた。「体が動かなかった。雰囲気にものまれた。与えられた位置で何もできなかった…」。

 中村俊輔(横浜)とは「自分のポジションで勝負したいな」と愚痴も言い合った。しかし、波戸康広(横浜)の出現で意識を変えた。4月25日のスペイン戦では、波戸が右サイドを務め、明神は後半途中からボランチに入った。「右サイドで頭から出られなくて悔しかった」。スタメン右サイドで自身が課題とする攻撃も見せつけた波戸の姿は、刺激になった。

 ボランチには戸田和幸(清水)も加わり、明神は定位置を奪われ、代表の当落線上にいる。ようやくコンディションは良くなってきた。2年前には「代表? 僕なんてまだ」と戸惑っていた男が、今では「W杯は絶対に出たい。海外にも挑戦したいから」と言い切る。再びトルシエ監督の信頼を勝ち取るため、明神は、前だけを見据えている。【柳田通斉】

 ◆明神智和(みょうじん・ともかず)1978年(昭和53年)1月24日、神戸市生まれ。柏ユースを経て、96年に柏入り。練習生同様の契約だったが、献身的なプレーが認められ1年目からレギュラーに定着した。97年Wユース、00年シドニー五輪8強に貢献。00年Jリーグではベストイレブンに入った。99年アジア杯予選で日本代表デビュー。Aマッチ通算15試合2得点。173センチ、66キロ。血液型A。


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