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ジャンプ週間で急成長した山田だが、ブレークの予感は以前からあった。山田は全日本スキー連盟(SAJ)の若手育成プランの一環で昨年11月中旬欧州に派遣された。主にスロベニアで練習を積んでいたが、その時点で小野統括コーチは「日本のトップクラスのレベルにある」とみていた。
それを決定づける出来事があった。オーストリアで調整していた全日本に合流した時、偶然、現在総合首位を走るマリシュ(ポーランド)も練習していた。古田修一副部長(53)は「練習ではマリシュにひけを取らない飛距離を出していた。船木も原田もかなわなかった」と振り返る。
マリシュの躍進を支えたポーランド・クラクフ大の運動生理学者ゾルダス教授も、山田のジャンプに目を見張った。「筋肉が細くて反応が速い。いつかこいつは強くなる」と予言していた。実際に山田は、体力測定では全日本のトップ3に入る数値を記録していた。小野統括コーチは「基礎体力が抜群にいい。原田と葛西を足して2で割ったような感じ」と表現する。
こうした体力面に加え、W杯の1ランク下のコンチネンタル杯で経験を積んで下地はできていた。94年には船木が葛西のけがで急きょW杯に抜てきされ、初出場初優勝の快挙を成し遂げた。山田の活躍は、船木ほど華々しくはないが似ている。
トップクラスのほとんどを北海道勢が占める中、珍しい長野県出身。高校卒業時には多数の有力企業、大学から勧誘されたが、地元の北野建設に進んだ。純ジャンプの選手は山田1人だが、複合の荻原健司(32)がいる。「W杯で勝っている姿を見て、こういうふうになりたいと思ってきた」。長野から世界へ。今、偉大な先輩と同じ道を歩もうとしている。【小林明央】
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