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スピードスケート
羽石国臣

スケートの町日光の34年分を背に

 スピードスケートの五輪代表に34年ぶりに栃木県出身者が名を連ねた。男子500メートル代表の羽石国臣(27=三協精機)だ。今季のW杯前半戦は日本代表からは漏れたが、昨年暮れの全日本スプリント500メートルで総合3位に食い込んで出場権を獲得した。地元紙は、68年グルノーブル五輪に出場した石幡忠雄・五輪代表監督(60)以来の「快挙」と報じた。

 同競技の五輪代表は北海道と長野県出身者の独占状態が続く。意外にも?  代表を率いる五輪監督は日光高OBが続いている。栃木県スケート連盟の星野仁会長(67)は、76年インスブルック大会から84年サラエボ大会まで務めた。98年長野五輪からは石幡監督が引き継いだ。日本スケート連盟のソルトレークシティー五輪対策委員長を兼ねる星野会長は「うれしいよ。孫が五輪に出るような感覚だね」と、日光スケートの「復活」を喜んだ。

 80年代、日光にはスピードスケートのクラブがあった。「日光から世界に通じる選手を育てたい」。石幡監督が先頭に立ち、アイスホッケーの日光アイスバックス高橋健次社長らが協力して運営された。小学生から高校生までを対象に、地域を巻き込んだ画期的な試みだった。約12年間続いた活動は過疎化などの理由で自然消滅してしまったが、最大時には約60人のクラブ員が在籍。石幡監督は「羽石は最後の卒業生。感慨深い」と話した。

 4年前の長野五輪開催時、羽石は日光にいた。日大を卒業したがスケートに専念できる会社と縁がなく、就職浪人して鉄工所のアルバイトをしながら1人で練習していた。競技人口の減少など日光に限らず、日本スケート界が置かれた状況は厳しいが「何とか、下の世代にも続いてほしいですね」。34年ぶりの「復活」が将来につながることを、願っている。【桐越聡】

◆羽石国臣(はねいし・くにおみ)1975年(昭和50年)1月6日生まれ、栃木・日光市出身。小4でスケートを始める。日光高3年の高校総体1000メートル2位。W杯初出場の98年12月の長野大会で500メートル3位、99年3月のローズビル大会ではウォザースプーン(カナダ)を破り優勝した。W杯ヘーレンフェイン大会500メートル初日(11日)はBクラスで優勝し、2日目はAクラス16位。家族は香里夫人(27)。170センチ、75キロ。

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