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最初で最後の五輪に、人生をかける。54年ぶりに正式種目に復帰するマイナースポーツ、スケルトン。36歳の越(こし)和宏(ホクト産業)は、日本の第一人者として世界と戦ってきた。時に企業から見放され、時にアルバイトで食いつなぎ、家族を養った。恵まれない競技環境ゆえ、五輪にかける思いは人一倍熱い。技術は世界一といわれる昨季W杯総合2位の男には、そり系種目初の金メダルしか見えていない。
越はあえて、退路を断った。今年2月のW杯長野大会で勝った時から、金メダルを公言してきた。「実家に帰ったら『金メダルなんて言い過ぎだ』と親に言われました。でも、逃げ道を探さないで取りにいきたいんです。チャンスがあれば、なんて言わず公言していきたいんです。大きな声を出していきますよ」。
若くない。筋力アップは難しい。瞬発力は衰えてきた。多くの同年代と同様、妻子もいる。冒険をしにくい年齢になった。だが、越は心に決めている。「年齢を言い訳にしない。これが僕の方針です」。だからこそ、やれることは何でもやる。どうすれば速くなれるかと考える。頭の中には次々とアイデアが浮かび上がる。
今年4月下旬、大相撲の伊勢ノ海部屋を訪れた。出げいこに来ていた千代大海、土佐ノ海らのけいこを見た。「しりが低くじゃなく、高い位置からえぐるようにぶつかる力士もいる」。スタートダッシュに応用できるヒントをつかんだ。8月には、車体の空気抵抗を測る風洞施設を使って、実験に臨んだ。走る時、かかとをつくクセが弱点と分かれば、スパイクの形状を変えた。メーカーに依頼し、つま先とヒールが極端に反ったシューズを手に入れた。
「ほかの選手がどうでもいいと思っているところで、工夫をしたい」。越は妥協なき準備を強調する。ライン取りなど滑りのテクニックは世界一。あとは、課題とするダッシュ力がカギになる。今夏、東海大の宮川千秋氏にランニングフォームの教えを請うた。高野進、伊東浩司を育てた師から理論を盗んだ。「これまでは持論と経験だけでやってきた。でも、今年は理論がついてきた。アスリートとして、頭が良くなったということですかね」。
「これまで」は、理論をうんぬんできる環境になかった。人生の転機は、92年アルベールビル五輪のボブスレー代表から漏れたことだった。「スケルトンなら台頭できるかも」と転向した。当時、日本でスケルトン選手は越1人。五輪の正式種目でもない。マイナー過ぎて、所属企業の理解を得られず、けんか別れになった。その後も転職とリストラが続き、失業保険などで食いつなぐ日々。五輪種目復帰が決まり、ホクト産業(長野市)から支援を得られるようになったのは99年12月のことだった。
ボブスレー経験者の越は、スケルトンの魅力についてこう語る。「僕は(ボブスレーで押し役の)ブレーキマンだったから、押したらあとは下を見ているだけ。前を見ていられる快感にはまったんです」。ホクト産業との契約は、02年3月25日まで。五輪後の道は、まだ見えていない。ただ、ソルトレークシティー五輪でスタートラインに立つ日まで、前だけを見つめている。【佐々木一郎】
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