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スピードスケート堀井学(29=PJMジャパン)の挑戦はソルトレークシティー五輪では終わらない。リレハンメル五輪では銅メダルを獲得しながら、長野五輪では惨敗した。ラストチャンスと決意して所属していた王子製紙を飛び出し、PJMと契約した。99年6月、東京・岸記念体育会館での記者発表の席上、堀井は明言した。「ソルトレークシティー五輪限りで引退する」と。しかし、五輪まで3カ月弱に迫り、堀井の心境は大きく変わった。
「19年間ぐらいスケートを続けてきて、今年が一番おもしろい。伸び続けているうちには辞めたくない」。滑走フォームの改造に成功し、世界のトップレベルに復活した。最近、ズボンがきつくなるほど足の太さが増した。海外には34、35歳で活躍する選手も多い。「限界に挑戦したい。たとえ伸びが止まってもチャレンジしたい。それぐらい楽しいんですよね」。今季の堀井は、しゃべりだすと自然に笑い始める。
打ちひしがれた長野五輪後には、ダンボール箱にびっしりと詰まった激励の手紙が届いた。東海地区の小学生からはダンボール製の金メダルと賞状をもらった。「自分の居場所が分からなかった時もあったけれど、どうしても速くなりたかった。だから変われた」。要請を受けて小中学校に講演に出向くときは必ず「目標を立てよう」と呼びかけた。
PJMとの契約は五輪終了とほぼ同時期に終了する。しかし、堀井は辞めるつもりはない。「結果を残してから、あと4年、と会社にお願いに行きたい。そのためにも、この思いを結果につなげていきたい。長野では撃沈したけれど今度は旗を揚げます。歴史に名を刻みたい」。2月19日、堀井は30歳の誕生日を迎える。胸には獲得したばかりの金メダル―と思い描いている。【桐越聡】
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