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スケルトン
中山英子

記者でもできるとは言わせない

 ひとりの女性がスポーツ界に「新風」を吹き込んだ。スケルトンの中山英子(31)。新聞記者として取材する側から競技する側に身を置き、ソルトレークを目指す。16日、ドイツで開催されるW杯から五輪代表をかけた戦いが始まる。来年2月へ向けて選手たちは動き始めた。「新風」「復活」「武器」「数字」「支援」「世界」「個性」。今日13日から日替わりのテーマで選手と、それにかかわる人々にスポットを当てる。

 初の五輪出場に挑む異色の女性がいる。女子スケルトン日本代表・中山は、長野市内に本社のある信濃毎日新聞社で家庭・芸能欄を担当する記者。98年長野五輪には運動部記者としてかかわり、2年前に仕事の合間を縫いながら競技を始めた。五輪出場権をかけて16日のW杯ケニグッゼー(ドイツ)大会からW杯を転戦する。

 取材対象に心を動かされてスケルトンを始めた。97年に第一人者の越和宏(ホクト産業)を取材し「信念を持ってやり抜く姿」に感銘を受けた。長野五輪後、98年夏の人事異動で運動部から文化部に移ったが「新しい分野を開拓し、挑戦する人の感性を伝えたい」と、越を追い続けていた。

 99年の年明けには自費20万円をはたき、オーストラリア遠征にも同行した。5歳上の越は輝いていた。「わたしは、何やっているんだろ…」。越に誘われて夏の陸上練習に参加し、11月下旬には氷上でスケルトンに乗った。その時は初めて経験する重力に「頭が痛くて気持ち悪くなった」が、2本目を滑り終えた時には「楽しくなっていた」。夢中になれるものを探していた中山は迷わず、競技と仕事の両立を決意した。

 「記者だけでなく、もっと自分の感性が伝えられる何かになりたい、と思っていたのかもしれません」。記者でなければスケルトンに挑戦する機会は得られなかった。だが「記者でも出場できる競技とは言われたくない」と続けた。

 10月下旬の日本代表の欧州合宿は3人中1位で通過してW杯出場権を得た。五輪出場はW杯国別対抗の成績で決まる。厳しい道のりになるのは間違いないが、恩師越との同時出場を果たしたい。開幕に向け「気持ちと視線は表彰台です」と前向きに話している。 【桐越聡】

◆中山英子(なかやま・えいこ)1970年(昭和45年)9月28日、長野県松本市生まれ。松本県ケ丘(あがたがおか)早大。早大では学生新聞の早稲田スポーツの記者として野球と陸上を担当した。94年に信濃毎日新聞社に入社。家族は父昌明さん(59=菓子製造業自営)母洋子さん(57)兄明彦さん(28)祖母晴子さん(92)。160センチ、55キロ。

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