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五輪のメダルは、選手のその後の人生を左右する力がある。女子スピードスケートの創成期を支えた長久保(旧姓高見沢)初枝さん(66)は、わずかの差でメダルを取れなかった側の人生を歩んだ。それは、時に悔しさを生んだ。だがメダリストでなかったからこそ、今がある。
60年スコーバレー大会。この大会から、女子スピードスケートが正式種目に採用された。長久保さんは4種目に出場し、3種目で入賞。得意の3000メートルは、4位に入った。メダルに0秒4差も、悔いはなかった。自らの持つ日本記録を30秒以上、5位だった500メートルでも2秒も更新していた。
4年後の64年インスブルック大会は、3000メートル6位入賞。妊娠3カ月の体での快挙だった。メダルを逃した意味が込み上げてきたのは、その後の人生でのこと。「3位と4位の差はドカンと違うことを、つくづく感じました。今の選手はもう、私のことも知らないでしょう?」。
五輪に関係する会合があるたび「メダリスト」と、その他大勢の「出場者」に分けられる。こんな空気を敏感に察し、現役引退の3年後に長野から上京した時、決意した。「私はもう『スケートの高見沢』であってはならない」。競技を離れ、1人の主婦として生きていくため、過去の栄光を封印。
名声だけで、生きていけない。五輪選手だった夫文雄さんと誓い合った、第2の人生。長野でちやほやされていた分、普通の生活になじめなかった。それも育児に追われるうち、自然に消えた。その後、スケート教室を始めた。シーズン中の5カ月間は、休みなく働いたこともある。長久保さんは「メダルを取っても、人生の後半で苦労している人もいる。重荷になって、自殺した人もいた。私はメダルを取れなかったけど、後悔はしていないんですよ」と話している。【佐々木一郎】
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