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4半世紀以上、夢を追い続けてきた。全日本スキー連盟(SAJ)の古川年正アルペン部長(54)はナショナルチームの強化に携わり、26度目の冬を迎えた。海和俊宏に始まり、岡部哲也、木村公宣、川端絵美…。日本アルペンの歴史は、古川部長とともに刻まれてきた。「何とかして、日本人を五輪の表彰台に立たせたい」。56年コルティナダンペッツォ大会、猪谷千春の銀メダル以来の快挙に挑戦し、突っ走ってきた。
札幌大会の回転に出場、26歳で現役を退いた。「世界で勝てる選手を育てたい」と会社に残り、仕事と指導者との両立を希望したが、会社には認められなかった。夢をあきらめられず、指導者になるために退社した。ナショナルチームの指導は事実上、ボランティア。両立するには自営業しかない。3500万円を借金して、長野・野沢温泉スキー場にロッジをオープンした。
結婚したばかりの美雪夫人の協力を得て、ロッジの経営は軌道に乗った。男子技術系コーチとして、28歳で再出発した。84年から4年間は文部省(当時)の派遣で米国にコーチ留学し、米男子技術系チームのコーチに迎えられた。帰国後にヘッドコーチに昇格した。合宿を含めて海外転戦が続いて、家に戻れるのは年に3カ月だけという生活が続いた。
長野大会後に部長になって海外遠征は減ったが、8月にはナショナルチームの「内紛」を収拾するために急きょスイスに飛んだ。テロの余波の残る米国で12月に開幕したW杯には、万が一に備える責任者として帯同した。不振の木村には、国際電話でゲキを飛ばすこともある。「この仕事、サラリーマンだったら、できなかった」。年明けには選手が転戦する欧州へ旅立つ。夢のために、まだまだ走り続ける。【桐越聡】
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