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ジャマイカのW杯初出場の立役者として、一番先に名前が挙がるのが、ジャマイカ・サッカー協会のホレス・バレル会長(47)だ。1994年に就任し、まず着手したのが、新監督の招へいだった。「才能のある選手はたくさんいる。いい指導者がいれば、W杯にいけると思った。だから外国へ探しにいったんです」。協会内の意見も一致したが、すぐに直面した問題が、資金不足だった。 政府や経済界の要人を訪ね、サッカー財団の設立を依頼。「そんなの無理に決まってる」と簡単に断られたが、粘り強く説得した。バレル会長は元サッカー選手で、軍人、軍隊のサッカーチームの監督、自ら経営するパン屋の店長、パン屋協会の会長と多くの顔を持つ。その人脈をたどって、約300万米ドル(約3億7500万円)を集めた。シモンエス監督(51)は会長の熱意に圧倒され、代表チームを指揮することになった。 歴代のサッカー協会会長も、W杯出場を目標に、さまざまな対策を考えてきた。しかしバレル会長のように、外国人監督を招へいするような奇抜なアイデアはなかった。さらに運も味方した。FIFA(国際サッカー連盟)は、フランスW杯の出場国を24から32に増やすことを決定。CONCACAF(北中米カリブ海サッカー連盟)地域の代表枠も、2から3に増えた。一つはメキシコの指定席、もう一つをほかの国で争うという構図がなくなった。 バレル会長のアイデア、実行力、そして強運が、W杯初出場を現実のものにした。 |
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