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Jリーグの大物たち

ストイコビッチ(ユーゴ代表)

 ユーゴスラビアを率いるドラガン・ストイコビッチ(33=名古屋)は、自らの左胸をたたいて言った。「ここだよ、ここ。ここが一番大切だよ」。W杯を前に、天才MFは精神面を強調した。「W杯だけを考えていた。あの舞台で、もう一度プレーしたいってね」。

 90年イタリア大会、25歳の天才は、世界のファンを驚がくさせた。巧みなドリブル、正確なパス、憎らしいばかりのシュート。「東欧の宝石箱」と呼ばれる個性豊かな選手を率い、その宝石の中で最も輝いた。華麗なプレーで「ピクシー(妖精)」と呼ばれた。25歳の天才MFとユーゴには、輝く未来が広がっていた。

 しかし、世界の舞台で再び輝くことはなかった。直後にぼっ発した内戦で、92年の欧州選手権直前にFIFA(国際サッカー連盟)から国際試合禁止処分を受けた。優勝したのは、ユーゴに代わって出場したデンマーク。優勝候補といわれた94年 米国W杯は予選参加さえも許されなかった。

 「W杯は、ほかの試合とは違う。国のために戦うんだ。だから、メンタル面が大事なんだ」。紛争で代表はバラバラになった。90年W杯の同僚と対戦しなくてはならないかもしれない。サッカー人 生を振り回されてきただけに、天才MFは強い口調で言った。

 日本の中盤に君臨する中田に「ボールをなくさないこと、キープしていいパスを出すこと。でも、一番大事なのはここ」と、再び左胸をたたいた。「大丈夫。彼にはガッツがある。間違いなく世界で通用するガッツだ」。サッカー人生の集大成をフランスで迎えるストイコビッチは、日本のエースにもエールを送った。

【サッカー取材班】

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連載「夢、W杯」

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