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情 報 収 集 手 段 選 ば ず |
日本には世界を相手に戦ってきた人間が数多くいる。初めてW杯本大会の舞台に立つサッカー日本代表は、どうすれば海外の強豪に勝てるのか。各スポーツ界で世界と互角に渡り合った指揮官、選手にスポットを当てる。1回目はラグビー日本代表監督としてW杯初勝利を挙げた宿沢広朗氏(47)。 宿沢氏は情報収集に手段を選ばなかった。今や偵察隊によるビデオ撮影、データ 分析は常識だが、他人任せの情報集めには警鐘を鳴らす。「データには必ず誤差がある。いくら試合のビデオをみても、日本人とやったらどうなるかは分からない。できるだけ自分の目で確かめるべき」と強調する。 1991年W杯英国大会ではジンバブエを破って日本に初勝利をもたらした。大会前、宿沢氏は2度も片道30時間かけて予選同組と決まったジンバブエに渡った。試合観戦したが、日本人が競ったらどうなるかを分析したかった。すぐに同国協会に代表同士 の練習マッチを直談判して再びジンバブエへ。だがB代表を連れて行き、手の内を隠した。「情報収集にかけた時間と距離は、代表の合宿よりもはるかに多かった」と振り返る。 監督デビュー戦では、ラグビーの強豪スコットランドから金星を挙げた。試合2日前にはスコットランドのBKコーチが食事していた店を訪れ、お酒を酌み交わしながら戦術の探りを入れた。前日には秩父宮ラグビー場での秘密練習を見下ろせるビルからのぞいだ。「代表なら監督も選手も技術的にも変わらない。自分の理論もある。選手に納得させ、理解してもらうために“必ず”と自信を持って言えるように敵を分析した」と話す。 手段を選ばない情報集めはフェアプレーに反するが、宿沢氏は強豪ニュージーランドを例に挙げて言う。「ラインアウトでスローワーはボールを投げる位置と審判の場所も伝える。審判の見えない位置で得点機を探す。世界に勝つにはきれいごとでは済まない」。 【藤中栄二】
◆宿沢広朗(しゅくざわ・ひろあき) 1950年(昭25)9月1日、東京生まれ。埼玉・熊谷高でラグビーを始め、早大2年で代表入り。71、72年には連続日本一に貢献。住友銀行入行後、ロンドン支店に7年半駐在。89年(平元)から91年まで代表監督を務める。 目次 | W杯メーンページ ![]() |
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