世界で戦った「日本代表」からのアドバイス

 世界と同じことをしても勝てない。1972年ミュンヘン五輪バレーボールで、全日本男子を金メダルに導いた松平康隆氏(68)は言う。「身体能力はもちろん、競技の歴史も劣る日本が勝つためには、当たり前のことを100万回やってもだめ」と、自らの経験から振り返った。

 松平氏は東京五輪後の65年に全日本男子監督に就任した。金メダルへ向けた8年計画。過去のしがらみは捨て、まずは体格で世界に負けない選手の選考をした。192センチ、85キロに基準を置いた。そして、「世界一の選手、世界一の男になるという気迫のある男」を条件に、南、大古、森田、猫田、横田らを選抜した。

 体格は世界に追いついたが、それだけでは勝てない。パワーや個人技では及ばない。そこで考えたのが、「コンビネーションバレー」だった。速効をからめた軽業師のようなバレー。その理想のためには、大柄な選手に瞬発力と腕力をつける必要があった。そこで全選手にバック転と逆立ち歩行を指令。1日4時間の練習の1時間半は、まるでアクロバットのような練習。そこから、今ではだれもがやる時間差攻撃、クイックスパイクなどが編み出された。

 初のW杯に出場するサッカー日本代表。百戦錬磨の欧州、南米勢に、まともに勝負をして勝てるわけがない。「3―5―2、4―4―2など世界と同じシステム、常識にとらわれていてはだめ。たとえば全員がゴール前を徹底して守り、カウンター攻撃にすべてをかけるなど、非常識なことをする必要がある」。日本独自の戦法の開発を提言した。

【田口潤】

松平康隆(まつだいら・やすたか) 1930年(昭5)1月22日、東京・品川生まれ。慶大を経て日本鋼管入社。162センチと小柄ながら9人制バレーで監督兼主将として活躍。61年全日本男子コーチ、65年から72年までは監督を務め、72年ミュンヘン五輪では金メダルを獲得。79年、日本協会専務理事就任。89年から95年まで会長を務めた。

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連載「夢、W杯」

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