世界で戦った「日本代表」からの 
アドバイス

清水宏保

(スピードスケート 長野五輪金メダリスト)

 スピードスケート長野五輪金メダリストの清水宏保(24=三協精機)は世界に勝つために、チーム内でのライバル強化を提唱。それは同時に、エース中田に次ぐ司令塔の早期育成を意味する。

 清水 僕のメダルは身近に堀井学(26=王子製紙)というライバルがいたからとれた。常にプレッシャーを分かち合ってきた。もし自分一人だけにかかっていたら、駄目だったかもしれない。

 清水がW杯に初出場したのは、1993年(平5)2月のバゼルガディピネ大会。異国の地イタリアで161センチの世界一小さなスプリンターは当時、外国選手から中学生と間違われた。それでも、武器にしていた弾丸スタートで優勝した。

 一方の堀井も同じ大会で世界にデビューした。翌年3月のW杯初優勝まで1年以上かかったが、今では日本選手最多の通算21勝を誇る。清水には3勝差でリードしているが「僕も清水君がいなければ長野の舞台には立てなかった」。清水が不振に陥るたびに、ハッパをかけた。切磋琢磨(せっさたくま)があって、強くなれた。

 清水 この人を倒せば世界一になれるという気はあったけど、堀井先輩とは技術的にタイプが違うのでまねすることはなかった。ただ、今回の五輪は堀井、清水という2枚看板が確立していたおかげで、自覚も責任感も強かった。これはサッカーの日本代表にも当てはまる。

 過去の金メダル候補はすべて一人で重圧を背負い、失速した。短距離という同一種目でお互いに負けたくないという気持ちがプラスアルファを生んだ。清水の近くにはいつも堀井がいて、常にどちらかがマスコミの防波堤にもなった。中田のポジションを脅かし、また、互いに補い合える人材を早急に育てることが必要だ。それがチーム力を向上させることにもなる。

【榎本優】
(この項おわり)

清水宏保 1974年(昭49)2月27日、北海道・帯広市生まれ。白樺学園高、日大を経て三協精機。五輪初出場の94年リレハンメル大会は五百メートル5位、千メートル19位。95、97年のW杯五百メートルで総合優勝。今年3月の世界種目別選手権(カナダ・カルガリー)で初の34秒台突入となる34秒82の世界新記録をマークした。161センチ、70キロ。

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連載「夢、W杯」

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