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W杯 日の丸イレブン苦闘史
第1回のW杯は1930年にウルグアイで開かれた。日本が初めて予選に参加したのは、54年の第5回スイス大会から。この時は、韓国に1−5、2−2で本大会出場を阻まれた。その後は長らく低迷期が続いた。
W杯まであと一歩まで迫ったのは、85年メキシコ大会予選の時だ。森監督のもと、加藤久、木村和司とタレントが揃い、1次予選を3勝1分けで突破。2次予選も勝ち進み、韓国とのホームアンドアウェーで、勝ち越せばW杯出場が決定するところまでこぎつけた。ところが、1−2、0−1と連敗し、本戦出場を逃した。
そして、93年の米国大会予選。初の外国人監督、ハンス・オフトを迎えて臨んだ日本は、1次予選を7勝1分けで通過。ドーハ(カタール)で行われた最終予選、勝てば出場が決まるというイラク戦で引き分け、またも涙をのんだ。この敗戦は「ドーハの悲劇」と呼ばれ、日本中が熱狂した。テレビの視聴率は平均48.1%、瞬間最高58.4%の記録的な高数字をはじき出した。
日本代表の過去のW杯予選全成績
| 年・回・大会 | 年・月・日 | スコア | 相手 | 開催地 |
第5回(1954年)
スイス大会 | 54・3・7 | ●1−5 | 韓国 | 東京 |
| 3・14 | △2−2 | 韓国 | 東京 |
第9回(1970年)
メキシコ大会 | 69・10・10 | ●1−3 | 豪州 | ソウル |
| 10・12 | △2−2 | 韓国 | ソウル |
| 10・16 | △1−1 | 豪州 | ソウル |
| 10・18 | ●0−2 | 韓国 | ソウル |
第10回(1974年)
西ドイツ大会 | 73・5・16 | ●1−2 | イスラエル | ソウル |
| 5・20 | ○4−0 | 南ベトナム | ソウル |
| 5・22 | ●0−1 | 香港 | ソウル |
| 5・26 | ●0−1 | イスラエル | ソウル |
第11回(1978年)
アルゼンチン大会 | 77・3・6 | ●0−2 | イスラエル | テルアビブ |
| 3・10 | ●0−2 | イスラエル | テルアビブ |
| 3・26 | △0−0 | 韓国 | 東京 |
| 4・3 | ●0−1 | 韓国 | ソウル |
第12回(1982年)
スペイン大会 | 81・12・22 | ○1−0 | シンガポール | 香港 |
| 12・26 | ●0−1 | 中国 | 香港 |
| 12・28 | ○3−0 | マカオ | 香港 |
| 12・30 | ●0−1 | 北朝鮮 | 香港 |
第13回(1986年)
メキシコ大会 | 第1次予選 |
| 85・2・24 | ○3−1 | シンガポール | シンガポール |
| 3・21 | ○1−0 | 北朝鮮 | 東京 |
| 4・30 | △0−0 | 北朝鮮 | ピョンヤン |
| 5・18 | ○5−0 | シンガポール | 東京 |
| 第2次予選 |
| 8・11 | ○3−0 | 香港 | 神戸 |
| 9・22 | ○2−1 | 香港 | 香港 |
| 10・26 | ●1−2 | 韓国 | 東京 |
| 11・3 | ●0−1 | 韓国 | ソウル |
第14回(1990年)
イタリア大会 | 第1次予選 |
| 89・5・22 | △0−0 | 香港 | 香港 |
| 5・28 | △0−0 | インドネシア | ジャカルタ |
| 6・4 | ○2−1 | 北朝鮮 | 東京 |
| 6・11 | ○5−0 | インドネシア | 東京 |
| 6・18 | △0−0 | 香港 | 神戸 |
| 6・25 | ●0−2 | 北朝鮮 | ピョンヤン |
第15回(1994年)
アメリカ大会 | 第1次予選・第1ラウンド |
| 93・4・8 | ○1−0 | タイ | 神戸 |
| 4・11 | ○8−0 | バングラデシュ | 東京 |
| 4・15 | ○5−0 | スリランカ | 東京 |
| 4・18 | ○2−0 | UAE | 東京 |
| 第1次予選・第2ラウンド |
| 4・28 | ○1−0 | タイ | ドバイ |
| 4・30 | ○4−1 | バングラデシュ | ドバイ |
| 5・5 | ○6−0 | スリランカ | ドバイ |
| 5・7 | △1−1 | UAE | ドバイ |
| 最終予選 |
| 10・15 | △0−0 | サウジアラビア | ドーハ |
| 10・18 | ●1−2 | イラン | ドーハ |
| 10・21 | ○3−0 | 北朝鮮 | ドーハ |
| 10・25 | ○1−0 | 韓国 | ドーハ |
| 10・28 | △2−2 | イラク | ドーハ |
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