わざと負けて!?優勝した知将

ワールド杯エピソード
  [目次]    【5】
 第2次世界大戦の敗戦国、日本と西ドイツは1954年のスイス大会で戦後初めてW杯への参加を認められました。

 日本は韓国に敗れ決勝大会出場権を獲得できなかったのですが、西ドイツは欧州地域予選第1組を勝ち抜きスイス行きのキップを入手。しかも、当時世界最強と言われた“マジック・マジャール”ハンガリーを破り初優勝。自国民に復興への巨大なエネルギーと勇気を与えました。

 この世界一への道へは、知将ゼップ・ヘルベルガー氏の秘策があったのです。1次リーグでハンガリー、トルコ、韓国とともに第2組に入った西ドイツ。戦前からのベテラン監督、ヘルベルガー氏は驚いたことにレギュラーの半分を控えに回し、ハンガリーに3―8の大敗を喫しました。でも、プレーオフでトルコを7―2で下し、2位で決勝トーナメントへの進出を果たしたのです。

 ヘルベルガー監督は「2位での1次リーグ突破が得策。準々決勝、準決勝でブラジル、ウルグアイという南米の強豪と戦わなくてすむから」と、計算していたのです。

 ユーゴスラビア、オーストリアに快勝し、余裕を持って勝ち進んだ西ドイツ。南米の2強と大接戦の末、ファイナリストになったハンガリー。

 決勝での西ドイツはベストの布陣で、疲れの見えるハンガリーに“予定通り”逆転勝ちを収めたのです。後に、欧州の専門家は「ヘルベルガーの悪魔の計算」と評しましたが、“フジヤマのトビウオ”古橋広之進選手が水泳の世界新を連発、戦後の日本人に明日への希望を抱かせたのと同じ力を西ドイツ代表サッカーチームは祖国の人々に与えたのでした。

鈴木 武士・フリーライター


 ◆古橋広之進(ふるはし・ひろのしん) 1928年(昭3)9月16日、静岡県浜名郡雄踏町生まれ。45年に日大理科予科、48年には法文学部政治経済学科に進学。世界記録を28も樹立した。現日本水泳連盟会長、日本オリンピック委員会(JOC)会長。
 ◆鈴木武士(すずき・たけし) 本名・奈良原武士。1937年(昭12)、東京生まれ。61年に共同通信社に入社。運動部記者としてサッカーのW杯などを現地取材。編集委員を経て、97年定年退社。フリーとなりサッカー、つりなどの原稿を執筆。著、編、訳書に「ワールドカップ物語」(ベースボール・マガジン社)、「日本サッカー協会75年史」「ペレ自伝」(講談社)などがある。
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