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トーナメント形式で行われた第2回大会。エジプトはハンガリーに2―4で敗れ、1試合だけで帰国せざるを得ませんでした。しかし、90年大会ではカメルーンなどとともに第三世界の台頭を誇示しました。 エジプトが入った1次リーグ第6組には、フーリガンと呼ばれる暴れ者のファンに悩むイングランドとオランダがいました。そこで、この組の試合地はサルデーニャ島のカリアリ、シチリア島のパレルモ両市が割り当てられました。警備態勢を考慮しての「島流し」だったのです。 心配された騒動は起こらなかったのですが、試合展開は波乱含みでした。アウトサイダーのはずのエジプトが大健闘をしたのです。初戦の相手は88年欧州選手権優勝のオランダ。1―1の引き分けに持ち込み、第2戦の対アイルランドも0―0の引き分け。決勝トーナメント進出が夢ではない“快進撃”です。エジプト本国は沸き返り、政府でさえ定例閣議をテレビ応援に切り替える熱の入れようでした。 ああ、しかし、最後のイングランド戦。エジプトはサッカーの母国に0―1の黒星を喫し、第6組最下位へと急落してしまいました。1次リーグ敗退です。 この結果はナイル河口の町、ダミエッタに住む40歳、独身の公務員の一大悲劇を招いてしまいました。 「私の生涯はエジプトがイングランドに敗れた瞬間に終わってしまった」。 こんな遺書をしたためて、公務員は首つり自殺をしてしまったのです。
鈴木 武士・フリーライター
◆アフリカ勢のW杯 第2回イタリア大会にエジプトが初出場。これまで7カ国が出場し、通算9勝11分け21敗、勝率2割2分。最高成績は、カメルーンのベスト8。第14回イタリア大会の開幕戦で強豪アルゼンチンを下すなどアフリカ旋風を巻き起こし、準々決勝まで勝ち進んだ。 ◆鈴木武士(すずき・たけし) 本名・奈良原武士。1937年(昭12)、東京生まれ。61年に共同通信社に入社。運動部記者としてサッカーのW杯などを現地取材。編集委員を経て、97年定年退社。フリーとなりサッカー、つりなどの原稿を執筆。著、編、訳書に「ワールドカップ物語」(ベースボール・マガジン社)、「日本サッカー協会75年史」「ペレ自伝」(講談社)などがある。 |