幻の750万枚
「優勝記念切手」

ワールド杯エピソード
  [目次]    【16】
 1974年西ドイツ大会でオランダは“救世主”ヨハン・クライフ選手を先頭に未来のサッカーを繰り広げ「オレンジ旋風」を巻き起こしました。

 ウルグアイ、スウェーデン、ブルガリアを相手にした1次リーグ第3組で文句なしの首位となり、2次リーグ(準決勝リーグ)に入るとさらに調子を上げたのです。

 前回の70年メキシコ大会で3度目の優勝を果たしたブラジルを2―0で退けたのをはじめ、アルゼンチン、東ドイツに対し3戦全勝、得点8、失点0の完ぺきな成績での決勝進出でした。

 2次リーグのもう一つのグループから勝ち上がってきたのは地元西ドイツです。“皇帝”フランツ・ベッケンバウアー選手、“黄金のゴールを決める男”ゲルト・ミュラー選手を中心に2度目の世界チャンピオンを目指すものの、「オランダほどの無敵さは見られない」チーム。オランダ人は、自国の優勝を信じ切っていました。

 オランダ郵政省に至っては、決勝戦を前に優勝記念切手10万枚の印刷を終える手回しのよさでした。

 さて、ミュンヘンでの決勝戦。オランダは開始1分もたたないうちに先制点を記録しました。オランダ郵政省は切手を一刻も早く売り出す態勢を取り始めました。

 ところがです。西ドイツが猛反撃し、ミュラー選手の黄金ゴールで試合を2―1とひっくり返し、オランダの初の世界制覇の夢を打ち砕いたのです。

 とんだ当て外れにがっくりの、オランダ郵政省当事者の談話は「全部で750万枚を売り出すことにしていたのに……。記念切手は全部廃棄処分にせざるを得ません」でした。

鈴木 武士・フリーライター

 ◆ヨハン・クライフ 1947年、オランダ出身。アヤックスで欧州チャンピオンズ杯3連覇に貢献し、バルセロナでも活躍した。欧州最優秀選手は史上最多の3度獲得。変幻自在なプレースタイルから「空飛ぶオランダ人」と呼ばれ、相手DFから恐れられた。
 ◆鈴木武士(すずき・たけし) 本名・奈良原武士。1937年(昭12)、東京生まれ。61年に共同通信社に入社。運動部記者としてサッカーのW杯などを現地取材。編集委員を経て、97年定年退社。フリーとなりサッカー、つりなどの原稿を執筆。著、編、訳書に「ワールドカップ物語」(ベースボール・マガジン社)、「日本サッカー協会75年史」「ペレ自伝」(講談社)などがある。
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