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スコアボードには「チリ1 ソ連0」の文字が浮かび上がり、チリは1974年西ドイツW杯出場が「決まった」と大喜びしました。 73年11月21日の、この“試合”は欧州第9組と南米第3組の勝者、ソ連―チリのホームアンドアウエーの第2戦のはずでした。 74年大会の地域予選は欧州が第8組まで、南米が第2組までの首位がいずれもそのまま本大会へ、欧州第9組と南米第3組の1位同士が戦い、その勝者が西ドイツ行きの切符を手にすることになっていました。 ソ連は72年の欧州選手権で西ドイツ(74年大会優勝国)に次ぎ2位となった強豪。欧州予選ではアイルランド、フランスを順当に退けていました。チリはペルーとの対戦を中立地モンテビデオでの第3戦に持ち込む接戦の末、勝ち抜いたチーム。 ソ連―チリのプレーオフ第1戦はモスクワで開催され、ソ連にとっては不本意な0―0の引き分けでした。 アウエーの第2戦を前に、ソ連は「サンティアゴのナショナル・スタジアムは軍事クーデターで社会主義政権が倒されたとき、政治犯の収容所となった所。血に汚れたスタジアムで試合することはできない」と中立地での対戦を要求しました。 しかし、国際サッカー連盟(FIFA)はソ連の要求に耳を貸さず、チリが無人のゴールへのシュートで本大会への出場権を獲得することになったのです。 ところで本大会でのチリですが、東西両ドイツ、豪州と組み合わされた第1組で2分け1敗の3位にとどまり、1次リーグで敗退しました。 鈴木 武士・フリーライター
◆チリのW杯 第1回ウルグアイ大会をはじめ、6回出場。自国開催となった1962年第7回大会で3位になったのが最高の成績。このほかはいずれも1次リーグで敗退している。今大会はイタリア、カメルーン、オーストリアと同じ予選B組となっている。 ◆鈴木武士(すずき・たけし) 本名・奈良原武士。1937年(昭12)、東京生まれ。61年に共同通信社に入社。運動部記者としてサッカーのW杯などを現地取材。編集委員を経て、97年定年退社。フリーとなりサッカー、つりなどの原稿を執筆。著、編、訳書に「ワールドカップ物語」(ベースボール・マガジン社)、「日本サッカー協会75年史」「ペレ自伝」(講談社)などがある。 |