ペルー人質に捧げられた1勝

ワールド杯エピソード
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 ペルーの日本大使公邸人質事件の舞台、リマ市はその夜、お祭り騒ぎとなりました。1997年1月12日、フランス大会南米予選でペルーがチリに快勝した時のことです。

 試合会場はリマ市の国立競技場。64年東京五輪南米予選のペルー―アルゼンチン戦で、オフサイドの判定から暴動が起こり、318人の死者を出す世界サッカー史上最大の惨事となった競技場です。人質事件の影響で1500人以上の警察官が出動し、試合関係者以外の車を締め出す厳戒態勢が敷かれました。

 ペルーは前半14分にマエストリが先制ゴールを挙げ、同34分にパラシオスが追加点を奪う会心の試合運びです。試合終了直前にチリのサモラーノに1点を返されましたが、文句なしの白星を飾りました。南米予選は9カ国のうち上位4チームが本大会出場権を得ます。ここまで1勝2敗2分けで8位と不振だったペルーは7位に浮上、4位のウルグアイに勝ち点1差に詰め寄ったのです。

 選手たちは「この勝利は人質たちにささげる」と口をそろえ、超満員のスタンドが大歓声に包まれたのは言うまでもありません。こう着状態の続く事件の暗いムードを吹き飛ばし、街の中も祝賀風景一色となりました。

 日本大使公邸周辺の警戒にあたっている警官や消防士たち、取材中のはずのペルー報道陣もテレビ、ラジオの実況中継に熱中し、勝利の瞬間には拍手が沸き起こったそうです。

 ペルー代表はその後、コロンビア、ウルグアイなどを破り、フランス行きの望みをつなぎます。しかし、10月12日にアウエーでチリに0―4と大敗。11月16日に1―0でパラグアイに勝ち、7勝5敗4分けの勝ち点25でチリに並びながらも得失点差で劣り5位。本大会出場を逃しました。

鈴木 武士・フリーライター

 ◆ペルー日本大使公邸人質事件 96年12月17日夜、トゥパク・アマル革命運動(MRTA)の武装グループがリマ市内の日本大使公邸に乱入。当夜、天皇誕生日祝賀会に出席していた約370人を人質にとり、フジモリ大統領に対して逮捕されている仲間の釈放を要求した。話し合いは平行線をたどり、事件は長期化。翌年4月22日にペルー政府の特殊部隊が強行突入し、最後まで残った人質24人を助け出して解決に至った。
 ◆鈴木武士(すずき・たけし) 本名・奈良原武士。1937年(昭12)、東京生まれ。61年に共同通信社に入社。運動部記者としてサッカーのW杯などを現地取材。編集委員を経て、97年定年退社。フリーとなりサッカー、つりなどの原稿を執筆。著、編、訳書に「ワールドカップ物語」(ベースボール・マガジン社)、「日本サッカー協会75年史」「ペレ自伝」(講談社)などがある。
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