王様ペレからペレちゃんへ贈り物

ワールド杯エピソード
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 舞台はポルトガルのリスボン。欧州チャンピオン、ベンフィカのホームグラウンド「エスタディオ・ダ・ルス(光の競技場)」です。1962年10月11日。南米チャンピオン、サントス(ブラジル)のペレ選手が光り輝きました。「世界クラブ選手権(トヨタカップの前身)」のサントス―ベンフィカ第2戦は、リオデジャネイロでの第1戦以上にペレ選手のためのゲームでした。第1戦は2得点でしたが、今度はハットトリックでサントスの5―2の勝利の主役となったのです。ペレ選手の美しいプレーに酔った観衆から終了の笛とともに「オー・レイ・ペレ、オー・レイ・ペレ(王様ペレ)」の大合唱が沸き起こりました。

 リスボンで「サッカーの王様」の尊称をたてまつられたペレ選手は、8年後の70年メキシコ大会でW杯史上最高のフットボーラーの地位を不動のものとしました。「神を思わす」プレーでブラジルを3度目の優勝に導き、3個の優勝メダルを持つただ一人の選手となったのです。

 この年のある日、ソ連グルジア共和国クタイシに住むペレ・グリニちゃん(0)にすてきなプレゼントが届きました。ナイキ(勝利の女神)の銅製レプリカと銀製カップです。送り主は、何とペレ選手でした。織物工場で働く、サッカー好きの父親ミハイルさんによると――。

 円熟したペレ選手の至芸に魅せられたミハイルさんは、メキシコ大会直後に生まれた男の子に「ペレ」という名前をつけると同時に、「私の息子にあなたの名前をいただきました。この子が将来、あなたのような偉大な選手になり、幸せな一生を送れるようにとの親心からです」と手紙を書いたのです。その返事が、思いがけないペレ選手からの贈り物だったのです。

鈴木 武士・フリーライター

 ◆ペレとW杯 ペレは58、62、66、70年と4大会連続W杯に出場し、66年を除く3大会で優勝。出場試合数14、ゴール数12。17歳でW杯にデビューした58年は第3戦から登場、62、66年は相手DFに傷つけられ2試合の出場にとどまったが、70年は全6試合に出場した。
 ◆鈴木武士(すずき・たけし) 本名・奈良原武士。1937年(昭12)、東京生まれ。61年に共同通信社に入社。運動部記者としてサッカーのW杯などを現地取材。編集委員を経て、97年定年退社。フリーとなりサッカー、つりなどの原稿を執筆。著、編、訳書に「ワールドカップ物語」(ベースボール・マガジン社)、「日本サッカー協会75年史」「ペレ自伝」(講談社)などがある。
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