“野人”の意外な将来設計−岡野
1998年2月24日更新

 日本代表の厳しいFW争いに、25歳の岡野雅行(浦和)が残りました。100メートル11秒という俊足は魅力満点。相手DFをぶっちぎって、GKと1対1になって、シュートを豪快に外す。そんなところもご愛敬。とにかく、その足だけでファンを楽しませてくれるところが、岡野の凄さなんです。

 他のFW陣は、若い頃から注目され、活躍してきました。城や中山は、高校時代から注目されたスター選手、カズはブラジルでプロとしてプレーしていましたし、呂比須もブラジルの名門サンパウロで活躍していました。しかし、岡野は違います。

バックナンバー
インデックス

ワールドカップ
メーンページ
 岡野は、サッカーでは無名の島根・松江日大高の出身。一般入試で日大に進学し、「有名になりたい」という一心で、94年に中退して浦和に入りました。足の速さは当時から注目されていましたが、まさか代表に入れるなんて考えてもいませんでした。「すぐにお払い箱になる」という思いは常に持っていました。

 しかし、サッカーなんてやってみなければわかりません。浦和で試合に出ると快速を生かして活躍。あっと言う間にレギュラーになり、代表入りも果たしてしまいました。今や、そのスピードだけで日本の切り札になった岡野。当分「お払い箱」はありえません。

 そんな「野人」には、引退後の夢があります。岡野は、大のお酒好き。ショットバーを開くのが夢なのです。大学時代の友達と、将来の「開業」に備えて、浦和入りして以来、資金を積み立てています。「最初は浦和で、そして最終的には六本木に店を出したい」というのが、岡野の将来設計です。

 アジア第3代表決定戦の延長で劇的なVゴールを決め、日本をフランスへと導いた岡野。実は、4年前の米国W杯予選、ドーハの悲劇は知りません。日大のサッカー部員たちと一緒にテレビ観戦。「日本の出場が決まった」と喜び勇んでトイレに立ち、戻ってみたら友達はみんな石のように堅くなっていたというエピソードを持っています。この瞬間に「サッカーは最後までわからない」と思ったかどうかは分かりませんが、少なくとも最後まで諦めない姿勢があったからこそ、4年後のVゴールが生まれたのです。

 岡野雅行。その足で日本をW杯初出場に導き、今も切り札として活躍が期待される野人。最後まで諦めない男は、もちろんショットバーの開店も諦めてはいません。

このページは、毎週月曜日に更新します