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いつも逆境をバネに−呂比須 1998年3月16日更新
ゼロックス・スーパー杯が行なわれた14日、サッカー界にショックが走りました。日本のW杯初出場に貢献した呂比須ワグナー(29=平塚)が、国士大との試合でケガをしたのです。診断結果は左頬(きょう)骨陥没骨折。Jリーグの開幕戦、さらに4月1日の韓国戦(ソウル)出場は絶望的となってしまいました。 足の骨折なら、W杯もピンチです。でも、幸いにも顔。トレーニングそのものは、1週間程度で再開できるはずです。フェースガード(アイスホッケーのGKマスクのようなもの)をつければ、1ヶ月くらいで復帰できるはずです。5月のキリン杯には十分に間に合うでしょう。 もっとも、心配もあります。気持ちの問題です。誰でも、一度ケガをすると恐怖心に襲われるもの。意識しなくても、顔面を守ろうと思うのです。まして、呂比須は相手のDFから厳しくマークされるFW。ゴール前での競り合いや空中戦の時、少しでも消極的な気持ちになれば、ボールを奪うことなどできません。顔をケガして、その後極端なスランプに落ち込む選手も多いのです。それだけ、精神的な面で影響を受けやすいケガだと言えます。 W杯ならなおさらです。世界の強豪が、勝利だけを目指してくる大会。相手のFWが顔をケガしていると知れば、容赦なく狙ってくるでしょう。ゴール前での競り合いなどでは、巧みなひじ打ちなどが飛んでくるかもしれません。激しい舞台で、呂比須が標的にされるのは確実なのです。
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呂比須は大丈夫? ファンならずとも気になるでしょう。しかし、日刊スポーツは「大丈夫」と答えたいと思います。このFWが、これまで数々の困難を克服し、日本人としてW杯出場という夢を果たしたことを知っているからです。 挫折は1度だけではありませんでした。「ここまで長かったですよ」。昨年9月に帰化が決まった直後、涙を流して喜びました。辛い日々を思い出して、感極まったのでしょう。 87年夏、日産自動車(現横浜M)入りしました。18歳のブラジル人にとって、遠い日本での一人暮らしは辛かったでしょう。何度も帰ろうと思ったはず。ケガにも苦しみました。ホームシックで、一人ベットで涙したこともありました。 日産で3シーズンプレーして、日本でやっていく自信がついてきました。プロリーグ誕生も決まり、期待に胸を躍らせていた頃、突然の解雇通告。失意の中で、JFLの日立(現柏)に移籍しました。5年間で2度得点王に輝き、チームをJリーグ昇格に導きましたが、また突然の解雇。結局、Jリーグでプレーする夢は叶わず、本田技研へと移りました。しかし、そこでも95、96年と連続得点王。呂比須は、逆境をバネに成績を残してきたのです。 帰化申請の時も、苦労しました。本田のホームである浜松で申請したため、平塚に移籍しても家族とともにいられず。一人、ホテル暮らしでした。「すべては日本人になるため」。生まれながら日本人である私たちから見れば不思議な感じもしますが、それだけ必死になって日本人になったのです。 93年10月の「ドーハの悲劇」。テレビで見ていた呂比須は、大泣きしたといいます。「僕が、日本をW杯に連れていきたい。日本のために恩返しがしたい」。その夢がようやく叶ったのです。そして「いつかはW杯でプレーしてみたい」という子供の頃からの夢も、手が届くところまで来たのです。苦労をしてたどり着いた舞台を前に、精神的に落ち込む間はありません。「とにかく、早く治してください」。頬骨骨折直後、呂比須は運び込まれた病院の医師に、そう言ったといいます。
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