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努力で作った天才レフティー−相馬 1998年3月23日更新
「左を制する者は、世界を制する」。これはボクシング界の言葉だが、同じことはサッカーの世界でも言える。世界のサッカー界の中でも、左利きの名選手は多い。数から言えば、やはり右足を武器にする選手の方が勝る。だからこそ、左は貴重なのだ。 前回の米国大会予選。いわゆる「ドーハの悲劇」では、日本は左サイドに泣いた。サイドバックのレギュラーだった都並が直前に負傷。結局、左サイドの経験のない選手を起用したが、最後までチームとしては機能しきれなかった。 当時、早大生だった相馬直樹(26=鹿島)は、悔しい思いで日本代表を見ていた。「オレをテストしてくれ」。本気で思っていたという。都並が戦線を離脱した後、本職の左サイドバックはいなかった。「自分ならできる。日本のために戦える」と、自信たっぷりに考えていた。 翌年、相馬は鹿島入りした。サテライト暮らしを経て、5月にトップデビューすると、レギュラーの座をがっちりと手に入れた。すぐに代表候補になり、代表入り。相馬を見た瞬間、それまでレギュラーだった都並が「代表で試合に出ることはあきらめた」と言ったという逸話さえ残るほど、抜群の力を見せた。 今や、押しも押されぬ左サイドのレギュラーだが、実は左足のキックは作られたものだった。もともとは右利き。清水東高時代、ケガをした先輩の穴を埋めるために左足で蹴る練習をした。相馬の左足でのキックは、決してスムーズではない。どこか人工的な感じがするのは、「作られたレフティー」だからだ。
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かつてはMFだった。しかし、高校時代にDFに転向してからは、守備的ポジションならどこでもこなせるようになった。左右のサイドバックにストッパー。バルセロナ五輪予選では、リベロも務めた。しかし、その左足の威力を生かせる左サイドバックが天職ともいえる。 頭脳は明晰、戦術理解度も高く、サッカーそのものをよく知っている。報道陣の質問にも、一つ一つ丁寧に、わかりやすく答える。決して感情や思いつきだけで言葉を発することはしない。自らの頭で考え、それを理論的に説明する。頭の良さも、大きな武器だ。 ライバルに競り勝って定位置を確保した相馬だが、ピンチもあった。W杯最終予選スタート後も「センタリングの精度が低い」「攻め上がる時のタイミングが遅い」と、酷評された。 絶対に勝たなければならないアウェーの韓国戦。試合前、相馬は岡田監督と話し合った。プレーに修正を加えたのだ。名波からのパスを受けるために飛び出すタイミングを早くし、センタリングも相手のDFを抜き去ってからでなく、一歩かわしてすぐに入れるようにした。相馬を研究してきた韓国の選手は戸惑い、結果的に2−0の2点ともが左サイドから入った。相馬の左足が、日本の最大の武器になった。 「フランスで試合に出なければ意味がない。そのためには、Jリーグでも結果を出さなければ」という。相馬に慢心はない。世界の舞台でその左足を試すまでは、安心することはない。努力で作った「天才レフティー」が、W杯でその左足キックを見せる。 | |
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