家庭教師付きの代表−市川
1998年4月6日更新

 日本代表に待望の新星が誕生しました。1日、ソウルで行なわれた日韓戦に、17歳の右サイドバック市川大祐(清水)が登場。17歳と322日の国際Aマッチ出場という日本代表の最年少記録を作ったのです。

 鮮烈なデビューでした。開始1分、いきなり右サイドを駆け上がりました。右足でボールをコントロールし、中央に攻め上がった中田に正確なセンタリング。持ち味のスピードと積極性をアピールしました。

 岡田監督は「途中で交代しようと思ったけれど、試合の流れで代えられなかった」と話しました。結局、清水でさえ経験のない90分間フル出場。「ここでびびっていても仕方ない。いつも通りを心がけました」。童顔を少し緊張させて、市川は言いました。

 今回、韓国に行った代表選手の中では唯一のアマチュア。Jリーグができる前から、日本代表選手はほとんどがプロ選手でした。しかし、市川は違います。高校生として正式な選手登録も「清水ユース」にしています。今回の活躍後「プロ契約も考えなければ」と、清水の関係者は話しましたが、今のところ試合に出ても給料はありません。

 清水工の化学工学科に通う普通の高校3年生。期末テストの前には、家庭教師のもとで勉強するのだそうです。普段は練習で忙しいので、練習がオフの時などは集中的に勉強します。もちろん、目指しているのはサッカーのプロ選手ですが「サッカーだけやっていればいいというもんじゃないですから」。考え方は、17歳ながらしっかりしているのです。

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 清水は、全国でも屈指のサッカーどころ。市川も、高部小3年の時に市の選抜チームである清水FC入りしました。6年の時には全日本少年大会に優勝し、優秀選手にも選ばれました。普通なら、ここから中学のサッカー部へと進み、清水商、清水東などの名門で高校選手権の優勝を目指すのがエリートコース。世間の注目を集めるのも、圧倒的に名門校の選手です。ところが、純粋にサッカーが好きで、うまくなることを真剣に考えた市川はそれに敢えて背を向けたのです。

 市川は、小学校を卒業すると、すぐに清水のジュニアユースに入りました。すでにJリーグ発足は決まったとはいえ、清水のチームはできたばかり。将来的な不安はあったはずです。それでも「プロになるため」にJの下部組織を選択。自ら、厳しいところに身を置く決心をしました。

 こんな市川だから、周囲から騒がれても浮つくこともありません。代表に選ばれた時も「自分なんかまだまだです。みんなのプレーを盗みたい」と、謙虚に話しました。常に向上心を忘れないことが、急成長の秘密でもあるのです。

 前半は及第点のプレーをした市川でしたが、後半はスタミナが切れて集中力を欠き、つまらないミスも増えました。「高校生の割には素晴らしい」という評価は、フランス大会出場を考えれば意味を持たないことは、市川自身わかっています。まだまだ代表のレギュラーに定着することが難しいことも。しかし、最後までボールをつなごうとし、前向きにプレーする姿は、十分に可能性を感じさせたことは確かです。

 これまでの国際Aマッチ出場最年少記録は、71年8月13日のアイスランド戦に先発出場した古田篤良(当時早大1年)の18歳292日。高校生の代表試合出場も、77年6月1日の1FCケルン(当時西ドイツ)戦の高橋貞洋(当時帝京高3年、17歳227日)以来です。大記録を作った市川の今後が楽しみです。

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