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不器用な男の決断−中山 1998年4月21日更新
一人で1試合3得点を決めるのがハットトリック。英国の伝統的スポーツ、クリケットで、3人の打者を連続してアウトにした投手に帽子(ハット)が贈られたことが語源と言われる。ハットトリックを達成するだけで大変な快挙だが、磐田のFW中山雅史(30)は何と2試合連続でこれを決めてしまった。 Jリーグでは、93年度の得点王に輝いた横浜Mのディアスに並ぶ大記録。ディアスの場合は2試合で3点ずつの6点だが、中山はこれをはるかに上回った。15日のC大阪戦で史上最多タイとなる1試合5得点、わずか3日後の広島戦で4得点。2試合で実に9ゴールを挙げ、通算11点で一気に得点ランクのトップに立ってしまったのだ。 日本代表の熾烈なFW争いが、中山の闘志に火をつけた。若い城、柳沢、俊足の岡野。そして、4月1日の韓国戦は出場しなかったベテランのカズと呂比須。フランスのピッチに立つためには、岡田監督の好調ぶりをアピールしなければならない。神懸かり的なゴールラッシュで、代表レギュラーの座を確実に近づけたはずだ。 いつも笑顔でジョークを飛ばす。中山の周囲には、笑いが絶えない。筑波大時代に「オレたちひょうきん族」でビートたけしが演じた「鬼瓦権造」に似ていることからついた「ゴン」という愛称で呼ばれる。 前回の93年W杯最終予選では、常にファイトする姿勢を忘れない精一杯のプレーで、老若男女を問わず人気者になった。昨年のW杯最終予選でも、最後の最後に代表復帰。日本代表のピンチを救い、初のW杯へと導いた。 |
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しかし、笑顔の裏には壮絶なケガとの闘いも隠されている。94年シーズン開幕直後に発覚したケガ。恥骨結合炎で、ほとんど1年間を棒に振った。ドイツまで行って手術。復帰を目指して懸命のリハビリに取り組んだ。笑顔も消えた。引退さえささやかれた。そんな苦しみを「もう一度サッカーがしたい」という思いだけで耐え抜いた。
厳しく自分を律した。禁酒はもちろん、厳しく食事制限もした。いつもは報道陣やファンを大事にする中山が、取材を拒み、サインを拒否した。 家の近くのコンビニで、小学生にサインを求められた時は、「ごめんなさい」とだけ言って、走って逃げた。心の中で泣いた。辛かった。悲しかった。「家に帰って、何度も心の中で謝った。子供の気持ちを傷つけた。本当に悪いことをしたな、と。でも、そんな経験が、復活へのバネになった」。今では、笑って言えるようになった。 96年3月に結婚した女優の智子夫人が、手作りの料理でバックアップしてくれる。自分のことを第一に考えてくれている。料理番組に出演し、学んできた料理を食べさせてくれる。「この(カズのユニホーム)の下には、かみさんのブラジャーしてます」。代表復活ゴールを決めた最終予選のカザフスタン戦後、お立ち台でそう言ったのは、智子夫人に対する照れ屋の中山の精一杯の気持ちだ。 笑顔の下に隠した苦労。だからこそ、岡田監督は、代表サポーターは、中山を信頼する。「この男なら」「こいつに任せれば」。かつて「スーパーサブ」として日本代表を救った男は、エースとしてフランスに乗り込もうとしている。辛い時期に支えてくれた智子夫人、チームメート、そして多くのサポーター。彼らへの感謝の気持ちは、W杯のゴールで表す。 | |
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