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選手を尊重、寡黙な主将−井原 1998年4月30日更新
W杯本番を控えて、日本代表の守備戦術が話題になっています。4人のDFを横に並べた4−4−2(DF4人、MF4人、FW二人という意味)システムをとるのか、3−5−2(同じく3人、5人、二人)に変えるのか。ただDFの人数を変えるだけではありません。守り方そのものが変わるのです。 4−4−2の場合は、基本的にゾーン(地域)で守ります。相手の選手を1対1で密着マークすることなく、自分のゾーンに入ってきた相手に対してマークにいきます。3−5−2の場合は、相手のFWを厳しくマンツーマンでマークします。相手のツートップに二人のストッパーが密着し、余った一人がリベロとしてカバーに動くのです。4人のDFがマンツーマンマークにいったり、3人がゾーンで守ったりするシステムも有りますが、基本的には4−4−2ならゾーンディフェンス、3−5−2ならマンツーマンディフェンスとなるわけです。 これだけ違う二つのシステム。だからこそ、主将を務める守備の要の井原正巳(30=横浜M)が重要になるのです。4人のDFなら守備を統率するセンターバックとして、3人ならリベロとして、日本には不可欠な存在です。「井原の代役がいない」のが日本の弱点と言われるほど、かかる期待は大きいのです。 |
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「サッカー選手として最高の目標」と、W杯に賭けてきました。90年イタリアW杯の予選から参加し、3度目の挑戦でやっと果たした世界の舞台への出場。それは、日本のサッカーの歴史そのものだったのです。「最初は、ボール拾いや用具整理も選手たちの仕事でした」。筑波大時代の代表入りした当時チーム最年少の井原は振り返ります。 94年大会の予選。初めての外国人監督、オフト氏を迎えて、代表は大きく変わりました。「かつてはW杯なんて夢みたいだったけれど、あの時ははっきりと目標でした」。ロスタイムに同点ゴールを許して、で惜しくも出場を逃したイラク戦。「ドーハの悲劇」が、4年後のW杯初出場につながったのです。 今大会予選、勝てない日本代表に「井原のキャプテンシーが問題」と批判されたりもしました。前主将の柱谷は、強引にチームを引っ張るタイプ。しかし、井原は黙ってプレーすることで静かにチームをまとめ挙げていくタイプ。正反対だからこそ、主将としての井原に物足りなさを感じたファンもいたのでしょう。 それでも、井原はチームを一つにしてW杯まで導きました。必要なら選手だけでのミーティングを開き、若手選手を叱責することもありました。井原自身は決して多くを語ろうとはしませんが、数々の苦労を乗り越えたのは間違いありません。井原こそ、現代表の精神的な柱なのです。 守備のシステムが変更されれば、井原への負担はさらに大きくなります。横浜Mでは、3−5−2のリベロを務め、かつては守備的MFまでこなした選手。器用な選手でもあるのです。もちろん、岡田監督も全面的に信頼しています。 「いずれは欧州でプレーしてみたい」という井原にとって、今大会は最初で最後のアピールチャンス。たとえ、どんな守備システムでも、日本の守備の要としてこなしていく必要があります。頼れるキャプテン、井原。日本がアルゼンチンやクロアチアとどこまで戦えるかの重要な鍵は、この選手が握っているのです。 | |
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