W杯に賭ける思い−名良橋
1998年5月7日更新

 本大会まであと1ヶ月と少し。いよいよW杯ムードが高まってきました。代表候補たちのJリーグでのアピール合戦も一段落。あとは、7日の岡田監督の発表を待つだけです。

 代表当確と言われる選手たちにとっても、今の時期は気が気ではないはず。何しろ、サッカー選手なら誰でも最大の目標とするW杯に行けるかどうかが決まるのです。右サイドバックのレギュラーに成長した鹿島のDF名良橋晃(26)も同じです。

 名良橋のW杯に賭ける思いは、他の選手と同じように、いやそれ以上に強烈です。高校生の市川(清水)が4月1日の韓国戦でフル出場。同じポジションのライバルが現れて、心中は穏やかではないはずです。それでも「絶対にフランスに行く」と言い切ります。それだけ自信がある。それだけのことをやってきたという自負もあるのです。

 全国的には無名の千葉英和高を卒業後、平塚の前身でもあるフジタ工業に入社しました。最初は左サイドバック。積極的な攻撃参加は今と変わりません。度々ゴール前に飛び出しては、豪快なミドルシュートも決めました。

 91年のバルセロナ五輪予選では、23歳以下の日本代表として活躍しました。ちなみに、当時のストッパーは小村。右サイドバック、またはスイーパーをやっていたのが、相馬でした。

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 当時の口ぐせは「代表でプレーするなら左サイドの方が近道」。そうです、日本代表を目指して、左サイドに固執したのです。その後、日本代表でもプレーした岩本(現京都)が加入してきて、右サイドにポジションを変えました。それでも「絶対日本代表になってW杯に行く」という気持ちは変わりませんでした。

 昨年、鹿島に移籍したのも、代表を意識したからです。「もっとうまくなりたい」。鹿島には、94年W杯で優勝したブラジルの右サイドバック、ジョルジーニョがいました。「いいところをどんどん吸収したい」と、移籍の豊富を口にしたのも、その先にフランスW杯があったからです。

 ジョルジーニョから技を盗み、名良橋は代表の右サイドバックとして定着しました。「右サイドは日本の弱点」と言われることもあります。センタリングの精度が悪いという評価も受けました。しかし、それでも右サイドを駆け上がる姿は迫力満点。それも、単にサイドライン際を走るのではなく、時にはペナルティーエリア内まで入ってゴールを狙います。それが、名良橋のサッカーなのです。

 趣味はビデオ鑑賞。自宅には、サッカーのビデオが大量にあります。練習が終わると家に直行し、世界のトップ選手のプレーを見て真似をします。最近凝っているのは、ブラジル代表の左サイドバック、ロベルト・カルロスのプレー。右と左の違いはあるけれど、攻め上がりのタイミングをビデオから盗むのです。

 170センチ、72キロ。決して大きくない体に、闘志があふれています。常に前に、前に。積極的な攻撃参加そのままのサッカー哲学が、名良橋を支えてきました。フランス大会まであとわずか、世界の強豪相手にも臆せず、右サイドを攻め上がる名良橋の姿が、フランスのピッチで見られるはずです。

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