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2003/12/09
第37幕 リトル松井の名付け親
松井稼頭央のメッツ入りが決まった。契約のためニューヨークに旅立つ前、成田で行った記者会見でニックネームについて聞かれると「リトル松井! これで行きたい」と言い残して機上の人となった。96年の日米野球に全米チームを率いて来日したダスティー・ベイカー(現シカゴ・カブス監督)が、松井秀喜と松井稼頭央を区別するために、ビッグ・マツイ、リトル・マツイと命名して以来「ビッグ」と「リトル」がすっかり定着してしまったのだ。
当時は「ビッグ」の方にばかりに目が向き、弱冠21歳だった「リトル」はそれほど注目されていなかった。そんな中でベイカー監督だけは「ビッグについては言うまでもないが、私はリトルの才能にすごい魅力を感じている。彼のように走・攻・守とハイレベルなものをそろい持っている選手はメジャーでもそうそういるもんじゃない。アメリカに必要なのはゴジラ松井より、リトルのほうだ」と言って周囲を驚かせた。
これがきっかけで「リトル」は一躍脚光を浴びることになり、米球界にその呼び名も浸透していった。特に松井秀喜のヤンキース入団が決った直後から、次の日本人メジャー挑戦者はだれかが騒がれるようになり、その筆頭に「リトル」の名前が挙げられた。今年のスプリングトレーニングのころには、すでに各球団のGM、スカウト、選手、メディアなどあらゆるメジャー関係者があちこちで「リトル」「リトル」と口にするようになっていた。
ベイカー監督は言う。「リトルというニックネームを気に入ってくれてうれしい。もちろん私はリトルをウエルカムする。だだ、できれば敵としては迎えたくはない。なにしろ、彼のプレーはリトルどころかビッグだからね」。7年の時を越え、メジャーリーガーというものを現実にして「リトル」が目の前に現れる日を、名付け親は心待ちにしている。ちなみに96年にベイカー監督とともに全米チームのコーチとして来日していたのが、メッツのハウ監督(当時アスレティックス監督)だった。
野球ジャーナリスト 鉄矢 多美子
◎このコラムは毎週金曜日更新予定です
鉄矢 多美子(てつや・たみこ)

福岡県に生まれる。成城大在学中から、硬式野球部のマネジャーを務めるかたわら、ウグイス嬢の道に。1977年にロッテ・オリオンズ球団(現在の千葉ロッテ・マリーンズ)に入社して、ウグイス嬢と広報担当を兼務。87年12月からフリーに。
野球のあるとこどこまでも、の精神で、日本国内はもとより、アメリカ大リーグをはじめ、キューバ、ドミニカ共和国、プエルトリコなどに足繁く通う。将来は野球をモチーフにした一大スペクタル小説を書くのが夢。著書は「サミー・ソーサ 心はいつもホームラン」(集英社インターナショナル)「もっとカゲキにプロ野球」(講談社)、「素顔の野茂英雄」(小学館)、「熱球伝説」(岩波書店)。
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