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◆涌井秀章(わくい・ひであき) 1986年(昭61)6月21日、千葉県松戸市生まれ。寒風台小2年でソフトボールを始める。松戸第六中時代に「松戸シニア」で野球を始め、3年夏に日本代表として世界大会6位。横浜高では2年センバツ準V。今夏の甲子園は8強。国体優勝。9月のAAA世界選手権(台湾)日本代表入り。家族は両親と姉、祖母。185センチ、80キロ。右投げ右打ち。
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松坂目標148キロ右腕「1年目から投げたい」
横浜の148キロ右腕、涌井秀章投手(3年)に迷いはない。現時点で西武の単独指名が濃厚。仮に1巡目で指名されなかった場合でも、2巡目で一番最初に指名権のあるオリックスが指名を確約している。11球団から調査書が届いた高校球界屈指の右腕の進路が事実上、西武、オリックスに絞られた状況だ。
涌井は「あんまり新聞とか見ないので分からないです。親は心配しているみたいですけど」と、まるでひとごとのように落ち着いた様子で話した。「西武だったら高校の先輩(松坂)がいるので、一緒に練習できたらいいなと思う。オリックスだったら1年目から登板チャンスがありそうでいいですね」と、12球団OKの姿勢を強調した。
98年ドラフト。「横浜以外なら社会人」の姿勢を示していた松坂は、西武との3度目の交渉で態度を軟化させ入団を決めた。意中の球団ではなかったが、結果的にチームの「顔」となり成功した。小倉清一郎部長(60)は「高校生に逆指名権はないんだから、指名された球団で頑張ればいい」と言う。涌井もどこに指名されても気持ちよく入団するつもりだ。「プロ1年目から投げていたいですね。最終的には松坂さんの勝ち星(16勝)を目標にしたい」と、早くも意欲を燃やしている。【鳥谷越直子】(おわり)
[2004/11/17 紙面から]
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◆水落暢明(みずおち・のぶあき) 1985年(昭60)4月18日、大阪府高石市生まれ。高石小1年の時に「高石ボーイズ」で野球を始め、同3年から「高石リトルシニア」に所属。投手、捕手など複数のポジションをこなす。変化球の持ち球はカーブ、スライダー、カットボール。好きな投手は巨人桑田。183センチ、82キロ。右投げ右打ち。
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虎が指名、死の恐怖から野球離れた「高校4年生」
「高校4年生」の右腕が、運命の日を待っている。平安(京都)のエース候補と嘱望されながら、入学2カ月後の01年6月の練習中に熱中症で倒れ、精神的なダメージから立ち直れず名門での学校生活を断念。一昨年4月に再受験で入った信太(しのだ=大阪)で、頭角を現した。「府立の快腕」と注目された昨夏の大阪大会から1年がたち、阪神の指名候補として水落の名前が再浮上した。
日本高野連の規定により、公式戦の登板は信太の2年で投げた昨夏の5回戦・布施戦(2−3)が最後。それ以降は練習試合で、相手校の許可を得て短いイニングを投げただけ。それでもプロは、水落を忘れなかった。最速143キロのストレートとカーブの印象は、それほど鮮烈だった。
順調に3年間を送った高校生なら知りえない経験も、水落は積んできた。熱中症で味わった死の恐怖。意識が遠のいて行った瞬間がよみがえり、しばらくは野球道具を見ることも出来なかった。学校生活でも、1つ年下の同級生になじめなかった。「見た目が怖い上に、人見知り。しばらくは話し相手すらいなかった」。物おじしない女子生徒が話し掛け「意外に面白いやん」と、ようやく皆に分かってもらえた。新しい友達に誘われ、一昨年の大阪大会で久しぶりに高校野球を見た。半年後、野球への情熱が「また倒れるかも」の恐怖にようやく打ち勝った。昨年7月の「最初で最後の夏」で、府立校をベスト16まで引っ張った。
「1度は野球を離れたぼくにプロへのチャンスが巡ってきただけでも、夢みたいです」という。本当に夢がかなったら、3年ぶりに平安に行くと決めている。退学のあいさつに行ったとき、野球部長と監督は「高校は必ず卒業しろ」と励ましてくれた。また野球に向き合えるようになれた自分の、今の思いを伝えに行く。【堀まどか】
[2004/11/16 紙面から]
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◆竹原直隆(たけはら・なおたか) 1980年(昭55)4月21日、岡山市生まれ。可知小2年の時にソフトボールを始める。旭東中では軟式野球部に所属。関西(岡山)では甲子園出場経験なし。城西大3年秋の神宮大会で準優勝。03年春に三菱自動車岡崎入社。即4番中堅で起用され、都市対抗4強に導く。183センチ、88キロ。はしや鉛筆は右で持つが「野球を始めた時から」の左投げ、右打ちという異色派。
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三菱自の不祥事で野球を奪われた松坂世代
こんなはずでは、なかった。社会人屈指の強打者竹原は、ひっそりと運命の日を待っている。本来なら、多くの球団が重要補強ポイントとする右の大砲として、ドラフト戦線の主役の1人になるはずだった。
取り巻く状況が一変したのは、5月末。会社側が大型車タイヤ脱落事故など一連の不祥事を受け、公式戦出場を含めた今季の活動自粛を決めた。以降、生活は完全に社業中心になった。
8、9月は販売店でユーザーの車を洗い続けた。1年前に東京ドームでアーチをかけ、都市対抗4強入りした時期に「ひたすら車を洗っていました」。会社の信頼回復に全力を傾けた。
社会的な責任の重さは、痛感している。しかし、ドラフト解禁イヤーに約半年間、実戦はおろか、満足な練習も積めていない。現状について「今は、何とも言えない」と言葉を濁す。しばしの間を置き「生きている気がしない」と、言葉を絞り出した。
プロ入りに必要な実績も肩書も、十分過ぎるほどある。城西大では、日米大学野球選手権(米国)、世界大学野球選手権(イタリア)の日本代表を経験。社会人でも昨秋W杯(キューバ)日本代表不動の5番で4本塁打を放ち、銅メダル獲得に大きく貢献した。立派な「松坂世代」の一員だ。
即戦力として活躍できる自信はある。就業後の自主練習でバットを振り込んできた。食事にも気を配り、体重もベストの88キロをキープしている。「プロは(ブランクを)ハンディと認めてもらえるような世界ではないはず。普通に練習やってきたヤツに、劣るつもりはない」。自らにもう1度、野球人としての命を吹き込むきっかけとなる17日の指名を、信じている。【八反誠】
[2004/11/15 紙面から]
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◆中村渉(なかむら・わたる) 1979年(昭和54年)8月19日、青森県五戸町生まれ。小学4年から野球を始める。八戸西高−青森大。卒業後は家業の畳店を手伝いながら、三菱製紙八戸クラブで野球を続ける。遠投100メートル。50メートル6秒3。家族は両親と姉、祖父母。183センチ、85キロ。左投げ左打ち。血液型A。
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畳職人・アメフト部上がりのシンデレラボーイ
アメフト選手。畳職人。助っ人。1発屋。145キロサウスポー。異色の経歴と肩書を持つ中村が、今秋ドラフトで注目を集める。みちのくの怪腕に、日本ハムが熱心なスカウト活動をしてきた。仙台に本拠地を置く新球団楽天も手を挙げた。獲得争いもヒートアップしてきた。
夏の都市対抗まで無名の存在だったが、体は鍛えていた。家業の中村畳店は、江戸時代から約200年も続く老舗。重さ約20キロの畳床を毎日背負って運んでいる。青森大では、西武細川捕手と同期だった。練習試合でバッテリーを組んだが、公式戦ではベンチ入りできず、1度は野球の道をあきらめた。
3年で野球部を退部し、向かった先はアメフト部。今度は筋肉マンを目指し、鋼鉄の上半身をつくった。中村の恩師である母校八戸西の助川清隆監督は「強いリストは畳店で、体のバランスはアメフトで鍛えた成果でしょう」と飛躍的な体力アップに目を見張る。
土台はできた。その素質は、突然開花した。JTの補強選手として出場した今夏の都市対抗準々決勝、東芝戦で完封。最速145キロを計測し、スカウト陣を驚かせた。「今の僕があるのはJTのおかげ」と中村。今季限りで廃部するJT野球部と出会い、存続をかけて戦うナインの執念を間近で見た。これほど野球と真剣に向かったのは初めてだった。
たった1試合で、株を上げたシンデレラボーイ。西武細川の日本一で、プロへの思いはさらに強まった。「気持ちで攻める投手になりたい」。都市対抗の活躍がフロックでないことを、プロのマウンドで証明する。【柴田猛夫】
[2004/11/14 紙面から]
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◆ダルビッシュ有(ゆう) 1986年(昭和61年)8月16日、大阪府羽曳野市生まれ。小学2年から野球を始め、峰塚中1年からボーイズリーグ全羽曳野所属。3年の夏、日本代表として世界少年野球選手権3位。東北で2年春から4季連続で甲子園出場。2年夏は準優勝。3年春の1回戦(熊本工)では史上12人目のノーヒットノーラン達成。両親、弟2人の5人家族。
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指名1球団“しか”…“だけ”でうれしい
第1回は、日本ハムが1巡目指名確実の右腕ダルビッシュ有投手(18=東北)。
阪神伊良部(退団)横浜門倉の193センチを超え、投手野手含め、日本人現役最長身のプロ誕生まで、カウントダウンが始まった。中学時代で143キロを計測し、常に注目されてきたダルビッシュ。195センチから投げ下ろす最速150キロの直球に、スライダー、シンカーなど変化球も多彩だ。甘いマスクも備えたスター性に、各球団の高い評価を受け続けてきた。ドラフトが目前に迫り、日本ハムの1巡目指名は決定的。常々「高い評価をしてもらえるのは素直にうれしい」と話し、入団に前向きな姿勢だ。
高校での3年の間に心は揺れ動いてきた。入学当初から、表向きは「プロになれるなら、どの球団でも構わない」と話し続けた。だが、夏準優勝、春ノーヒットノーランなどで、周囲から騒がれると“勘違い”するのに時間はかからなかった。「選ばれる側」から「選ぶ側」に考えが変わり、いつしか在京球団志向が強まっていた。希望球団でなければ、仙台に残って社会人の七十七銀行入りする話も進んでいた。だが、イラン人の父ファルサさん(44)は10月、メジャーを含めて進路をプロ1本に絞ったと明言した。
球界再編の嵐が吹き荒れ、今後のドラフト制度が、どう変化していくか見えないのが大きな要因だった。さらに9月に浮上した喫煙疑惑も、少なからず影響したようだ。イメージが悪化したことで、幼少からの夢だったプロへの道が途絶えるのでは、と不安がよぎるようになった。「何球団から指名されるか楽しみ」と話したこともあったが、現時点で1巡目指名は1球団。だが、その1球団の存在が今はうれしい。
本人の第1志望は、あくまで日本でのプロ入り。オフの“定番”ともいえるゴルフも、体育の授業で選択し準備着々だ。指名された時、どんな表情を見せるのか。運命の17日が近づいている。
[2004/11/13 紙面から]
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