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2005/03/03
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鉄人に漂う哀しさ
−鉄人28号(3月19日公開)−
横山光輝原作の「鉄人28号」の連載が月刊「少年」で始まったのは56年のことで、これはちょうど私の生まれた年である。だから個人的な鉄人への入口はその7年後に放送されたテレビアニメ(フジテレビ)である。「ビルの町にガォー−」というおなじみの主題歌に加え、「力合わせガォと進め、僕は正太郎、負けるものか〜」と始まる正太郎少年のテーマを今でも口ずさむことができるのは、当時の少年たちにとって最先端メディアであった朝日ソノシートのお陰だと思う。カラーグラビアブックの中に薄っぺらなビニール製のレコードが入っているシロモノで、擦り切れるまで聞いた関連ソングが頭に染み込んでしまったのだ。
B5判の単行本カッパコミックスシリーズ(光文社)も忘れられない。同時期にこのシリーズに収録された手塚治虫の「鉄腕アトム」と当時人気を2分していた。アトムが人工頭脳で自ら行動するのに対し、戦前に日本軍の秘密兵器として開発されたという設定の鉄人は、金田正太郎少年のリモコン装置で動く文字通りの操り人形だった。たった2本の操縦管で精密な動きをすることに違和感を覚えるほどマセてはいなかったが、子供心に無表情な鉄人が醸し出す哀しさだけは感じていた。
CG技術を駆使して実写化した今作にもそんな哀しさが貫かれ、テレビアニメと同じ主題歌と相まって大人心をくすぐられる。舞台は東京。首謀者ゼロ(香川照之)によるサイバーテロの波状攻撃が行われ、彼が操る巨大破壊ロボット、ブラックオックスの登場に政府はなす術もなく、首都はパニックに陥る。母陽子(薬師丸ひろ子)と2人暮らしの小学生、正太郎(池松壮亮)はそんなブラックオックスにむしろ見ほれてしまうのだが、見知らぬ老人(中村嘉葎雄)から亡き父が遺した鉄人28号のことを聞かされて…。
鉄人の再生、正太郎少年のゼロへの敵意の芽生え、鉄人操縦のマスター…クライマックスに向かって細かいエピソードが積み重ねられ、丁寧な作りになっている。他に蒼井優、川原亜矢子、中澤裕子ら個性的な面々が登場してすっかり漫画のキャラクターになり切っているのも楽しい。
舞台が現代となって、つまり原作発表時より半世紀近くが経過して、戦前からいきなり復活では余りに旧式で最新メカのブラックオックスに勝てるわけがなくなってしまった鉄人は、祖父が開発→父が平和用ロボットに改良→急きょ天才科学者立花真美(蒼井)が戦闘用に再改良という設定になっている。
CGで映像化された姿は原作イメージにも増して無機質で哀しい。ブラックオックスのスピーディーな動きに比べて何ともスローモーなところがまた哀しい。正太郎少年の健気な奮闘ぶりも哀しい。そしていびつな理想に燃えて破壊を繰り返す悪役ゼロもかなり哀しい。というわけで、全編の屋内シーンに貫かれたややセピアな暗めの雰囲気はしっくりと来る。だが、一転屋外の現実的な街並みと鉄人の表面を覆う妙に輝く青い合金にはどうしても違和感を拭えなかった。もともと戦前に作られた重厚長大な時代遅れの産物でもあるし、「スター・ウォーズ」シリーズの宇宙船やロボットのような薄汚れた感じのほうがしっくりくる気がする。
が、やはり春休み作品として、子供たちにとっつき易いように、という配慮なのだろう。冷静に考えれば、ノスタルジックな思いで見るのは50歳以上の少数派なのだから。
メガホンは「非・バランス」(01年)で注目された冨樫森監督。
(このコラムの更新は毎週木曜日です)
【相原斎】
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